Fate/stay night SS
Fate/MidNightBlue
第三日目【前編】





 
Tactics 1−0 【変わりはじめた朝】






───私は、灰色の夢を見ている。


 …垂れ込めた雲、頬を濡らす雨。

 …至る所からシュウシュウと噴き上がる煙。

 …焼け焦げてブスブスと音をたてる瓦礫。

 …熱で融け、変形したアスファルト。

 …おそらく、ここに生きていたヒトだったモノ。

 …そのヒトたちが大切にしてきた、すべて。


 ───何もかもが焼け落ちた、一面の焼け野原。


 目に映るものは総てモノトーン。 いろを持つものなど何もない。

 どこまでも色彩ひかりの枯れた世界───。

 その灰色の世界を、私はおぼつかない足取りで歩く。


 あらゆる形といろを失った世界に

 赤いサンダルと黄色いパジャマを着た完全なカタチの私…。

 ───それは、あまりにもシュールで、出来の悪い絵画のようだった…。


 それでも、私は地獄ここに来た。


       みんな…

       みんな、もえちゃったの…?


 危険だから近づくなという、親の言いつけを破って。


       きれいだったあの家も…

       みんなであそんだ公園も…


 もう誰も生きてはいないという、救助隊員たちの言葉を振り払って。


       なかよしのともだちも…

       よく遊んだわんこも


 酷い臭気と熱気に耐え、ほんの僅かな希望に縋って。


       おじさんと、おばさんも…

       大すきな、男の子も…!

       みんな、もえちゃったんだ………!!


 ただ、絶望する為だけに… 私は、ここに来たのだ。


「ぃ…やああああああああぁぁぁぁぁっ!!」





 ───私は、自分の絶叫で目を覚ました。

 ドッドッドッドッドッ………

 やたらと早い心臓の鼓動が耳に響く。

「ぅ… む…」

 目の前には、いつもどおりの自室の天井。

 朝と呼ぶにはまだ早い時間らしく、光源の無い部屋は夜のそれと変わらなかった。


「………」

 寝覚めとしては最悪だ。 心臓は全力疾走の後のように激しく鼓動し、寝汗で寝間着も下着もぐっしょりと濡れている。

 私は気だるい体を無理やり動かし、枕元の目覚まし時計を確認した。

 時計の針は、午前4時30分を指している。

「むぅ…アラームがなるまでに、まだ暫くあるではないか…」

 早いとは思っていたが、これはまた随分と早く目が覚めたものだ。

「…風呂に入るくらいの余裕は十分にあるな…」

 だが、そのおかげで汗を流せるのは不幸中の幸いだと思う。

 とりあえず部屋の明かりを点け、そのままバスルームに足を向けた。

 脱衣所で身に付けていたものを手早く脱ぎ去り、洗濯機 ───ボタンひとつで毛糸物洗いから乾燥までバッチリこなしてくれる最新型だ─── に放り込む。



「…ふう…」

 そして、浴槽に浸かってほっとひと息。

 ちゃぷ…

 湯を手のひらで掬って顔を洗う。


「…それにしても、なんとも嫌な夢を見たものだ…」

 灰色の世界で絶望に打ちひしがれる夢。

 あれは、何かの暗示であろうか。 それとも…。

「───失くしていた、私の記憶なのか…?」

 …そうなのだ───。

 おおっぴらにはしていないが、私は10年ほど前の記憶がぽっかりと欠落している。

 そして、10年前といえば冬木市民なら知らぬ者は無いと言われる大災厄の起こった年。

 地獄めいた夢の中の情景… あり得ない話ではない……。

 多くの人の命を奪い、多くの物を焼き尽くした新都での大火災。

 それによって、私は慕っていた叔父叔母夫婦と幼き日の友人達、そして、彼らに関する記憶を奪われた。

 その爪痕は、今もなお刻まれたままで、冬木中央公園にそれを垣間見ることができる。


 しかし… それだけではない。

 この『10年前』というキーワードは、冬木市全体に別の影を落とす。

 その時期に起こった事態はそれに留まらないのだ。

 変死、行方不明事件の頻発。

 さらに身体機能障害、精神障害、そして…記憶障害者の増大…。

 もっとも後者については日常生活に支障をきたしていない者が大半だったために、殆ど騒がれはしなかった(それ以上に目立つ事件が多かった所為もあるが…)。

 それでも、冬木市の記録を紐解けば、大災厄が異常なのではなく、大災厄を到達点とした数週間すべてが異常なのだとわかる。

 それが、いかなる原因によってもたらされたかは、誰も知りはすまいが…。


 それにしても…。

「…なぜ今ごろ…」

 これまで失われていた記憶がその片鱗を見せるのか…。


 ……十年前と現在。

 本来なら繋がる筈のない因果の糸。

 しかし……

 最近、新都で頻発する原因不明の事故───

 そういえば、昨日深山町で強盗殺人事件が起こったとも聞いた───


 変死… 行方不明───

 私の頭の中でそれらが奇妙に符合する。

 ───ぎょっとした。


「この町で…また、『何か』が起っているとでも言うのか…?」


 馬鹿げている…

 そんなものはただの偶然だと、思考を振り払う。

 だが…

 なぜか、生まれた不安は胸の中にこびりついて離れなかった。


   ◇ ◇ ◇   ◇ ◇ ◇


「ねぇ、鐘ちゃん… 今日は調子が悪かったの?」

「む?」

 朝錬を終えて昇降口へ向かう途中、由紀香が不安げに訊いてきた。

 手には部員の記録を記した表。 彼女の指はその中の一点、私の記録を指差している。

 確かに今日の記録は少々思わしくなかった。

「いや、そのだな…」

 答えにしばし逡巡する。

 その原因となった夢の事は、正直、思い出したくないのだ。

「…昨日の晩、よく眠れなくてな」

 故に、とりあえず無難な返答をする。

 由紀香はそれを聞いて「わ、大変だよ」 と、目を丸くしている。

「これだから鐘っちは… おおかた、寝る前に恐怖モノホラーでも観てたんだろ」

 そして、そこに蒔寺が口を挟む。

 またこやつは口から出任せを・・・

「そうなの? …だめだよ、鐘ちゃん」

「───全く、もうすぐ最上級生さんねんだってのに、なってないね、自己管理が、まるで!」

「…そのようなモノは観ておらん、蒔と一緒にするな」

 日頃から自己管理についてうるさく言っている私に対する意趣返しか、それは? わざわざ二段倒置法まで使いおってからに。

「ホントに?」

「本当だ」

「ホントのホントに?」

「……む」

 …なんと、疑う事を知らなかった筈の由紀香に疑われた。 これは相当にショックだ。

 まぁ、心配してくれているが故であろうが…。

「由紀香…私の目を見てくれ」

 これが嘘を吐いている者の目か? と、私は真摯な視線を由紀香に向ける。

「うん…?」

 由紀香はそれに律儀に応えてくれた。


 ………

 そして、由紀香としばし見詰め合う。

 由紀香の澄んだ瞳が朝の光に揺れている。

 ………

 そして、納得したのかほにゃっと笑って大きく頷いた。

「うん、わかったよ」

「そうか、よかっ───」

「鐘ちゃんが観てたのは、ラヴストーリーだったんだね?」

 全くとんちんかんな事を自信満々に言う由紀香に、私はがっくりと肩を落とした。 その横では蒔寺が腹を抱えて大笑いしている。

「な… なぜそうなるのだ…」

 どこをどう勘違いすればそのような結論に至るのか、その訳を訊いてみたい気もする。

「あははははははっ そうかそうか、鐘っちは恋愛モノを見てたのか?
いやー、参ったねこりゃ、あたしもそこまでは考え付かなかったぜ」

「………むぅ」

 蒔寺は心底愉快そうに笑っている。 …おのれ。

「でもやっぱり、夜更かしはよくないよ? 鐘ちゃん」

「だから、観ていないと言うに…
よく眠れなかったのは、単に夢見が悪かったからだ…」

 私が眉をひくつかせながら言うと、由紀香は私と蒔寺を交互に指差して見比べながら「え…っ? でも… あれっ??」 と、軽い混乱状態に陥ってしまった。

 彼女の思考ベースには『どちらも嘘を吐くはずがない』という大前提があるのだろう。

 日頃から、蒔寺の戯言にあれだけ振り回されて、それでもその信用が揺るがないのはさすがと言うか、何と言うか……。

 私と蒔寺の間でわたわたと動くさまは、これはこれで可愛らしくもあるが、そろそろ止めてやらねば目を回してしまう。

「それ見ろ、お主がしょうもない虚言を吐くから、由紀が混乱しているではないか」

 私はそう言って由紀香をつかまえると、くるりと蒔寺のほうを向かせた。

「そうだそうだ! 鐘っち! 反省しろ!!」

 ───ぬ、こやつ、あくまで私が嘘を吐いていると主張するか。

 そうか、そうか…。

「いい度胸だ…」

 そこまで言うなら仕方ない…。

 私は、ベストの内ポケットから携帯電話を取り出した。

「私の記憶では、夜中に観たホラームービーの所為で眠れず、泣きを入れてくるのは常にお主だったと思うのだが…なぁ? 蒔の字よ」

 そう言いながら、携帯のボタンを操作する。

 そうなのだ、蒔寺は苦手なくせにホラー系をよく観る。 そして、決まって夜中に泣きながら電話を掛けてくるのだ。

 そんなに怖いなら止めてしまえ。 と、何度も言うのだが、こやつは全く懲りる様子がない。


「っ…そんな事…! 証拠はあるのかよ!?」

 何気に三流悪役を彷彿ほうふつとさせる言葉を吐き、狼狽する蒔寺。

「ん? さぁてな…」

 私は、直接的な答えをはぐらかしつつ小さく笑うと、由紀香の耳に携帯電話を当てた。

 そんなもの、あるに決まっている。 そのために携帯電話を操作していたのだからな。


「さ、由紀? 蒔寺のカワイイ声が聞けるぞ」

「えう?」

 『カワイイ』を特に強調する私の言葉に、蒔寺の顔がビキっと強張る。

「まさか… 鐘っち… 録音…」

「ふふふふ…」

 私が不敵に笑い、その問いに答える前に、録音の内容を聞いていた由紀香が口を開いた。

「わ、蒔ちゃんが泣いてるよ…」

 その言葉に、蒔寺の顔が燃え上がらんばかりに赤面する。

「───っ 由紀っち、それよこせ!!」

 そして、怒声を上げながら由紀香から携帯を奪おうと跳びかかる。

「ふえっ?」

「───渡す必要は無いぞ。 そもそも、それは私の携帯だ」

 私はそう言って蒔寺の動きを遮り、由紀香を庇った。 結果、蒔寺とガッチリと組み合う形になる。

「鐘っちの、人でなしめ…!!」

「人聞きの悪い事を、言うな…っ」

 私は、己の無実を証明しようとしたに過ぎん。

 蒔寺の恥は、オマケみたいなものだ。 というか、私たちの間でこの程度、恥ずかしいも何もあったものではあるまいが。

「わ… わわわ… 二人とも、けんかは駄目だよう…っ?」

 火花を散らして掴みあう私たちを、由紀香がおろおろしながら宥めようとする。

 だが、許せよ由紀香。 私は己の尊厳にかけて退く訳にはいかんのだ。

「ね…ねぇ、鐘ちゃん、これ、どうやって止めるの…?」
  
「───地面に思いっきり叩きつければ止まる!!」

「さらりと物騒な事を言うな蒔!!」

 ひとの携帯電話を何だと思っている!?

「そんなモン、叩き壊した方が人類の為になる!」

「先に、お主の事実改竄癖を矯正しろ!」

 お互いの鼻っ柱に噛み付かんばかりの距離での口暴こうぼう戦。

「お、落ち着いて、二人とも…」

「───そうだぞ、二人とも。 三枝さんが困ってるじゃんか」


 ───は?───

 聞き覚えのある、それでいて、いつもの私たちの会話の内には存在し得なかった男性の声。


「えっ 衛宮っ?」

 突然の事に驚きつつ振り返ると、由紀香の脇には衛宮が立っていた。

「…衛宮君?」

 由紀香も突然の事に目を瞬かせている。

 僅かな沈黙。

 その沈黙を破ったのは衛宮だった。

「…仲良くケンカするのもいいけどさ… 結構、注目を集めてるの分かってるか?」

 そう言って、ばつが悪そうに周りに視線を巡らせる。

 確かに彼の言うとおり、周囲の視線は私達に集まっているようだ。

「……うう…っ」

「…ああ、面目ない。 少しばかり軽率だったようだ」

 その状況に内心赤面しながら、私は蒔寺から離れ、由紀香に携帯電話を返してもらう。

 そして、何食わぬ顔で録音の再生を停止し、そのままベストに仕舞い込んだ。

 このデータは後で消去する事にしよう。 じゃれあいのネタとしては少しばかり出来が良すぎたようだし、な。

「…ちぇー、もう少しで鐘っちのステキアイテムをげっちゅー出来たのによぅ
まったく、ざーんねーんDash!!」

 ズキューン! とばかりに、私を妙なポーズで指差す蒔寺…。

「…何がステキアイテムなのだか…」

 その奇天烈ハイテンションに思わず眉間を押さえながら私は呻いた…。

「あはははは…」

 そして、そのあいだで困ったように笑う由紀香。


 衛宮は、そんな私たちに柔らかな笑みを向けている。

「えと…、おはようございます、衛宮君」

 そんな衛宮にまず声を掛けたのは由紀香だった。

「ん、おはよう三枝さん」

「昨日のこと、ありがとうございました。 とても、嬉しかったです。
その、お礼が遅くなりましたけど…」

 そう言って由紀香はぺこりと頭を下げる。

「いやいや、大したことはしてないぞ俺は
 第一、あんな事でもなければお鉢が回ってくることもなかっただろうし…」

 そう言って衛宮はパタパタと手を振った。

「あんなこと…ですか?」

 由紀香は衛宮の言葉に首を傾げる。

 さもありなん。 なぜなら、由紀香には昨日の件について『衛宮が保健室まで運んでくれた』としか伝えていないのだから。

 だからきっと、由紀香の想像には自分を颯爽と抱え上げて運ぶ、正義のヒーローよろしくな衛宮の姿があるに違いないのだ。

「いや、そのな…」

 その由紀香のイメージを壊すのは、気が引ける。

「なんて言えばいいか…」

 私と衛宮は少し言葉に詰った。 まぁ、衛宮は私と違い、ただ状況を察して迂闊な事は言えないと判断しただけであろうが。

「つまりだな、由紀っち」

 やはりというか、何と言うか。 頼んでもいないのに蒔寺が口を挟む。

 彼女は、おもむろに私を指差し…

「試験官で───」

「───合格者だ」

 と言って、続けざまに衛宮を指差した。

 しかしまた、これ以上ない程に事情を知っている者にしか解らん説明だな。

「???」

 当然、由紀香は意味が解らずきょとんとしている。

 まぁ、その方が都合は良いのだが。


「───ところで、衛宮。
 …昨日の夜の話なのだが…」

 とりあえず無難な線に話題を変える。

「…えっ? あっ そのっ …もちろん誰にも言わないぞ!?」

 あっという間に衛宮の顔が紅潮する。

 む─── 衛宮め、自販機前の攻防を思い浮かべたな!?

「ば… ばか者っ、そちらではない! 私は、帰宅後に藤村先生とひと悶着なかったかとだな…!」

 あの件が絶対的に秘匿されるべきなのは、わざわざ確認するまでもないであろうが!?

 もし、軽々しく他言するような者がいれば、私はそやつの人格を疑うぞ?

「……」

 う… いかん、こっちまであれを思い出してしまった。 顔が、熱い…。

「おっ おう、はらぺこタイガーが萎れていたけど何の問題もなかったぞ」

「そうか… 良かった」

 ひとまず、馬に蹴られる心配はなさそうだ。


「あーやーしーいーなー…」

「…昨日の夜って? 鐘ちゃん…」

 むぅ… やはりきたか。

 片や、いかにも興味津々ですよと言う顔の蒔寺。 片や、不安と戸惑いを瞳に湛えた由紀香。

「それって、逢瀬か逢引か、それとも密会か!?」

「……っ」

 囃し立てるような蒔寺の言葉に、由紀香はピクリと反応する。 確かに、これは衛宮に好意を抱いている由紀香にとっては看過できぬ問題であろう。

 …と言うか蒔寺、お主の言うそれらの単語は全てほぼ同じ意味だと解っているのか?

「いや、何のことはない。 昨夜、バイト帰りの衛宮と出くわしただけだ」

 実際問題として衛宮と会ったのは単なる偶然なのだ。

 要らぬ疑惑はここで絶っておくべきだろう。

「そうなんだ…」

 私の言葉にほっと胸をなでおろす由紀香。

「ホントにそれだけか? んんっ!?」

「…しつこいな、お主も」

 由紀香ほどにとは言わぬが、もう少し親友の言う事を信用しても良いと思うのだが…。

「んー、それだけって訳じゃなかったよな」

「───え、衛宮!」

 なぜ、そこでわざわざ地雷を踏みに行くのだ貴様は!?

「ほら、コーヒーご馳走になったしさ」

「…それは、そうだな…確かに」

 衛宮の言葉に、内心ほっと胸をなでおろす。

 真実から目をそらさせるために、あえて無難な情報を漏出させる…か。 衛宮もなかなかに策士ではないか…。

「そっかー、鐘っちはドケチだから
それが知れてあたしらにまで奢らされるのが嫌だったんだな!?」

「……」

 衛宮の言葉に納得したのか、ただ自分の推論に酔っているだけかは判らぬが、蒔寺は何度も大きく頷きながら爽快そうに笑っている。

 ───って。 大筋では狙い通りの展開とはいえ、何故にこやつからドケチ呼ばわりされねばならんのだ!?

「鐘ちゃん。 わたしは、奢ってなんて…言わないからね?」

 どうにか怒りを抑えている私を、いつもの笑顔でいたわってくれる由紀香。 その心遣いは嬉しいのだが…。

 否定してはくれんのか…。

 ドケチの部分は。

「………」

 教室に向かう道中、私は微妙なやるせなさを感じていた…。





 
Tactics 1−1 【Condition All Red】





「んじゃ、由紀っち鐘っち、また明日なー」

「蒔ちゃん、バイバイ」

「さらばだ、蒔の字。 また明日な」

 蒔寺に見送られながら、私たちは彼女の家を出た。

 時刻はとうに9時半を回っている。

 故に、私達が歩いている商店街の店の多くは既に閉店しており、冬の夜風とあいまって昼間とは打って変わった閑寂な印象だ。

「こんなに遅くなっちゃうと、学園の門限なんて意味ないね?」

「ああ、そうだな…」

 因みに本日は土曜日なので、学園は半ドン。 門限はそれに伴い平日より早い時間に変更されていた。

 その結果浮いた時間を、蒔寺宅への寄り道に充てた結果がこの状況という訳だ。

 私たち二人は、他愛の無い話をしながら歩いていく。

 そして、そろそろ商店街を抜けようかという時に───。

「あぁああ…っ!」

 由紀香が素っ頓狂な声をあげた。

「…どうした?」

 私は、多少面食らいながらも由紀香の方を窺う。

「どうしよ… 鐘ちゃん。 私、鐘ちゃんに借りてた倫理のレポート… 教室に置いて来ちゃった…」

「ああ、倫理の課題レポートの事か…」

「今日、持って帰って写そうと思ってたのに…」

 由紀香はそう言ってうなだれている。

 ちなみに、由紀香の尊厳のために言及しておくと、彼女は普段なら自分のレポートは自分で纏める真面目っ娘である。

 今回は、家庭の事情で自力で纏める事が困難だったため私が助力したに過ぎない。

「葛木センセイは月曜の朝イチで提出って言ってたのに…」

「明日の部活のついでにでも取りに行けばよいではないか」

 しかし、私の提案に由紀香は首を横に振って応える。

「だめだよ、それじゃ蒔ちゃんの写す時間がなくなっちゃうよ…」

「ふ… 蒔寺が写す時間など───」

「必要なくないよ… 鐘ちゃん」

 一笑に付そうとした私の言葉をいつになくはっきりとした口調で遮る由紀香。

「…由紀…」

「………」

 見ると、由紀香は真剣な表情でこちらを見据えている。

 しかしながら、彼女の性格を思えばそれも仕方ないのかもしれない。

 外見や日頃の振る舞いからは想像できないかもしれないが、由紀香は責任感が人一倍強い。

 そして、歳の離れた多くの弟達を持つ故にか、不公平や不条理を特に嫌う。


「……ん、わたし、今回のレポートは諦めるよ」

「な… 由紀?」

「忘れてきたわたしに責任があるんだもん… 当然だよ」

「ちょっと待て…」

 確かに、由紀香の選択は自己責任という意味では、正しい。

 だが、最初から私のレポートをアテにしている蒔寺と、努力しても状況がそれを許さなかった由紀香とでは『貸す側』である私の心情が大きく異なるのだ。

 そうだな───。

「分かった」

「…え?」

「由紀… すまないが、先に帰ってくれ…」

 私は、たった今差し掛かった交差点を、学園に向かって歩き出す。

「鐘ちゃん…?」

「お主を送ってやれないのが残念だが… まあ、今度ばかりは仕方ない」

 言わば、これは私の我侭なのだ。 付き合わせるのも可哀想だし、何より、もう夜も遅い。 由紀香の家庭の事を考えれば、これ以上遅くなる訳にはいかないだろう。

 かといって、由紀香を送ってから学園に向かったのでは、由紀香の家にレポートを届けるのがそれこそ深夜になってしまう。

 しかし…。

「わ… わたしも行くよ…!」

 由紀香はそう言って、私の制服の袖を掴んできた。


「…由紀……」

「…ふたり一緒の方が、安心だよ …ね?」

「……」

 参った…。 本当に参った。

 頭を駆け巡る倫理や感情、計算のすべてを凌駕するほど…

 由紀香のまなざしに、安堵感を覚えるなんて…。

「───ああ」

 頷く私に、由紀香はいつもと同じ笑顔で応えてくれた。

 こんな由紀香だから、いつでも助けてやりたいと思えるのだな…。


 私はそんな事を思いながら、由紀香と手を取り合って学園への道を歩き始めた。


   ◇ ◇ ◇   ◇ ◇ ◇


 夜の学園は暗い。

 月明かりが多少なり差し込んでいるとはいえ、長い廊下の闇はやはり深い。

 ひっそりと静まり返り、生命の気配などあるはずもない。

 そして、暗闇や過剰な静寂は、ある感情を呼び起こす。

 それは、あらゆる生物に備わっている『本能』ではあるが、暗闇や静寂といった『認識できないもの』にそういった感情を抱くのは人間だけであると言われている。

 要するに、怖いということだ。

「夜の学園だし、当然だがな…」

「へ… なに? …鐘ちゃん」

「…いや、何も? それよりも、レポートも回収したし、さっさと学園から出よう」

「うん」

 私達は頷きあって昇降口を目指す。


 しかし、目的地まであと少しという、そのとき…


 ───!?


 唐突に感じた私達以外の気配に、私は足を止める。

「鐘ちゃ───?」

「シッ…」


 … … … …


 曲がり角の向こう───ここからは死角になっている廊下を、ゆっくりだがこちらに向かって歩いて来ている者がいるようだ。

 宿直の教師か…?

 私はすかさず由紀香の手を引いて物陰に身を潜める。

「なに…?」

「おそらく、教師だ。 ここでやり過ごそう」

 私は、早口で由紀香にそう伝えて、彼女と身を寄せ合う。


 …タ …タ …タ …タ


 足音はどんどん近付いてくる。


 ───おかしい…。

 宿直の教師なら、なぜ、懐中電灯の光が見えてこないのか…。


 ───それになんだ…。

 足音に混ざって僅かに聞こえる、粘着質なものを引き剥がすような音は…。


「………っ」

 もしかしすると───

 私は、とんでもない過ちを犯したのかも知れない───。


 脳裏をかすめる、不吉な噂さつじんじけん───。


 一歩、また一歩と近付いてくる足音…。

 由紀香が、震えている。


 足音の主は、もう、すぐそこに。

 由紀香の頭を胸に抱く。


 …ペタ …   ジャ …ペタ …   ジャ


 唐突に鼻を突く鉄─── いや、血の匂い…。

 これは、冗談などではなく絶体絶命かもしれない。

 私は… 心の中で由紀香に謝る。

 そして、誓う。 もしもの時は、この命を捨てても由紀香を逃げ延びさせると…。


 廊下に、『    』の影が差す。


 ───息が止まる。 まばたきすら、出来ない。

 そして、見た『    』を。


 ───な───


 思考が凍る。

 心臓が爆発するが如くその鼓動を早める。

 訳が分からない。

 頭の中を脈絡のない言葉が駆け回る。


 なぜ?        殺サレ■    胸に真っ赤な血の跡

 幽鬼のように    エミヤ         歩いている

     月明かりに照らされた     荒いイキ遣いで   ロウ      夜の学園に

         顔は蒼白で   心臓の位置に      ふらふらと        刺サレた痕が

 ナゼ   血痕     衛宮が───       殺人キ



 ───こんなところに!?


 私は、由紀香の頭を抱く手の力を強める。


 いけない。

 気付かれてはいけない。

 見られてはいけない。 見せてはいけない…。

 アレが衛宮だと、由紀香に知られてはいけない───。

 衛宮に、見ていた事を知られてはいけない───。


 この遭遇じじつは、誰とも共有してはいけない───!!



 ………


 ……


 …



「…由紀香?」

 どれくらい経っただろうか、衛宮が校舎から十分に遠ざかったのを確認し、由紀香を放す。

「怖かったか…?」

「うん… すっごく…」

 お互いの声は震えていた。

「鐘ちゃんも怖かった?」

 由紀香が、 ───ずっと抱きしめていた所為だろう─── 紅潮した顔を上げる。

「ああ…」

 私は、出来るだけ平静を装い笑いかけた… が。

「鐘ちゃん、顔が… 真っ青だよ…!?」

「…む… そうか?」

 由紀香は驚愕に目を見開いている。

「………すまない、思いのほか堪えているらしい…」

 だが、それは恐怖によってではない…。

 これは、憤りだ。 衛宮に刃を向けた何者かに対する───。


 見た限り、衛宮の外傷は胸の一つだけ。

 だが、あの夥しい出血の痕は、確実に致命傷のそれだ。

 そのような傷を負って衛宮が『活きて』いるのは奇跡としか呼べまい。


 だが、それよりも…。


 なぜ、衛宮があのような目に遭わねばならなかったのだろうか。

 それが、怒りと苛立ちを掻き立てる。

 理不尽、不条理、不可解…

 そんな単語が頭の中を埋め尽くしていく。

「鐘ちゃん… 大丈夫なの?」

 そんな私を心配してか、由紀香が声を掛けてくる。

「ああ、大丈夫だ……
…『不審者』は、もう去ったようだな。 急いで、帰るとしよう」

「……うん…」

 私達は足早に学園を出る。


「………」

 一度だけ振り返ると、校舎はいつもと変わらぬ姿を月の光に晒していた。

 そして、私は決意する。


 そう……。

 ───まだ、この夜を終わらせる訳にはいかない───。






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お名前:クリさま
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ご感想:三日目更新お疲れさまでした!!
     うわあ〜終盤、いつものほのぼのした日常から一気に雰囲気変わりましたね!
     こんな接点想像してなかったんですけど、納得して読めました。
     話に魅き込まれてしまって続きがホント気になります。
     前編とても面白かったですvv これからもがんばって下さい☆

藤見屋評価の入力ありがとうございます。
      本当に嬉しいです。
      急展開の三日目、楽しんでいただけたようで、こちらも嬉しいです。
      実を言うと、今回は鐘の夢という序盤最大の設定捏造シーンがあったので、自分的にはかなりビクビクものでした。
      その辺りで引かれなかったのは有り難いですね。
      
      ともあれ、鐘の聖杯戦争がいよいよ始まります!
      乞うご期待!

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