Tactics 1−2 【月下の邂逅 ―刹那―】
「はぁっ… はぁっ… はぁっ…」
私は夜道をひた走る。
目的地は衛宮邸。
いや、『衛宮 士郎』本人だ。
私は彼の家を訪ねた事などないが、過去に得た情報から衛宮邸のおおよその位置を予測することは可能であり、そちらを目指す限り衛宮に追いつく事はそう難しい話ではない。
だが───
「時間が… 無い…」
あの後、私は由紀香を家まで速やかに送り届け、挨拶もそこそこに衛宮のもとを目指した。
しかし、帰り道は衛宮との遭遇を避ける為に平時の通学路を大きく迂回しているため、時間・距離ともに大きくロスしてしまっている。
如何にこちらが急ぎ、かつ衛宮の歩みがゾンビ並とはいえ、こちらの移動距離は概算で彼の倍以上。
衛宮が帰り着くまでに追いつきたいこちらとしては、微妙な状況だ。
………
……
…
石垣に挟まれた坂道を駆け抜け、角を曲がる。
数十メートル先には、武家屋敷の門。
「───あ…」
今まさに、その門をくぐっている人影。
───衛宮だった。
「あ…」
間に───合わなかったか……。
「あ… あはは…はっ」
衛宮は、『タッチの差』で家に帰り着いてしまった。
せめて一声掛けて、何があったのかを問いただすくらいはしたかったのだが…。
何かが終わってしまった気がして、ため息とともに自嘲の笑いがこぼれる。
「はぁ… 仕方ない…か」
ここから先は衛宮の領域だ。 私が踏み入る事など到底許されまい。
それに、少なくとも無事に帰り着いたことを確認したのだ。 これ以上私に何ができる訳でもなかろう。
「………」
私は、帰路に就くべく踵を返した。
───ゾクッ───
「………う」
襲い来る悪寒。
……このまま帰っても良いのか?
唐突にそんな考えが私の頭をよぎる。
───足が止まる。
唐突に理解できた。
なぜ自分が『衛宮を帰り着かせたくなかった』のか。
帰り着くまでに追いつかねば事情を問いただせない… という理由だけではない。
理由は解らぬ。 が、衛宮は殺されるべくして殺される。
───振り返れば衛宮邸の門。
それも、相当の手錬に。
あの傷口はそういう傷口だった。
───門に向かって足が進む。
そんな状況で、私に何ができるのだろう。
何もできない。 そう、何もできはしないのだ。
───門柱に手をかける。
だから───。
それが、何だというのか……!
確かに、合理性という観点では、これ以上関わるべきではないだろう。
一介の女学生に過ぎぬ私には、衛宮を助ける事など出来るはずもないのだから。
だが、私はそれに納得する事ができなかった。
合理的だからといっても、納得できるかどうかは全く別の問題なのだ。
そう、仮に、明日 ───『衛宮が殺害された』─── というニュースがテレビや新聞を騒がせたとして…
───私は、
答えは─── 否。
「……私は……」
学園での決意を改めて言葉にする。
「…衛宮を、もう誰にも傷つけさせない───」
そして───
私は、衛宮邸に足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
───ジャリ…
踏みしめた玉石が小さく音を立てた。
目の前は、月光に蒼暗く彩られた和風庭園が広がっている。
私は、その庭の奥まった植木の陰に身を潜めた。 正面には明かりの点いた部屋 ───おそらく居間だろう─── そして、左には土蔵が建っている。
私は、疲労した足を休める為にハンカチを敷いて腰を落ち着けた。
苔むした地面の柔らかさが、ほんの少しだけ夜の寒さを和らげてくれる。
ここならば賊の侵入にいち早く対応し、衛宮に報せる事ができるだろう。 要は警報代わりだ。
「ふぅ…」
冬の夜に似合いの白い息を吐き、庭を挟んだ居間を見ながら考えを巡らせる。
衛宮が、無事に居間に辿り着いている事から推測して、屋内での待ち伏せという事はなさそうだ。
かといって、このまま終わるとは思えない。
───その理由を改めて考える。
衛宮は、純粋に殺されるべくして殺された。 これは確信だ。
なぜなら─── と、私は他の仮説を列挙し検証する。
私怨による殺害だったなら…。
…一撃で事を済ませようとはしない。 十中八九めった刺しにされるだろう。
突発的な事故の類では…。
…一人きりの校舎内で刃物による事故…。 可能性の上ではゼロではなかろうが、どんな事故だか想像すらできない…。
…猟奇的嗜好による殺害。
…在り得ないとも言いきれないが、そういった嗜好を持つ者は遺体を五体満足のまま放置はすまい。
やはり『殺さねばならぬ理由を以って殺された』以外の理由は考え難い。
そして、『殺された』はずの衛宮が生きている以上、衛宮が再び狙われるのは違いない。
───ではなぜ、その『殺された』衛宮が『活きている』のだろう。
想像の域を出る事ではないが、その事に暫し思考を巡らせる。
衛宮の心臓の位置が普通の人と異なる。
…彼に関して、そういう話はついぞ聞いた事がない。
心臓が複数ある。
……って、どこの大魔王だ? まぁ、仮に(あくまで仮にだ)そうであっても心臓を貫かれれば、出血多量による血圧低下で結局は死に至るだろう。
死んでから、生き返った。
………………………。
「………何を、馬鹿な」
私は、あまりに馬鹿げた自分の仮説に思わず苦笑する。
死人が甦るなど、あり得るとは到底思えない。
「………」
…それにしても風の強い日だ。
何の気もなく空を見上げると、流れる蒼紺の雲が月を覆い隠していく。
ある種幻想的ですらあった月下の庭が、不吉な闇に沈んだ。
───その時。
カランカラン───
「───!?」
母屋の方から鳴子の音が聞こえてくる。 そして、それと同時に居間の明かりが消えた。
「───まさか!?」
賊は既に侵入していたと言うのか!?
心中で舌打ちする。
なんと間抜けな… 自分を警報代わりにここに置いたというのに、これでは全くの無意味だ。
こんな事なら、門をくぐって行く衛宮を無理矢理にでも連れ出すべきだった。
そうだ…。 あの時、逡巡したのが間違いだったのだ。
まさか、競走でもあるまいに…。
先に
いや、それをこそ行うべきだったのだ…!
「…間抜けめ!」
己の不甲斐なさを罵り、奥歯を噛み締める。
何が、『衛宮を、もう誰にも傷つけさせない』だ。 現に今、彼は危機に曝されているではないか。
状況は、先程聞こえた金属の衝突音から、衛宮の生存と応戦している事実が辛うじて認識できるのみ。
ならば…。
「責任は、取らねばなるまい」
己の過ちに相当する代価を払って…。
「………」
私がそう決意して立ち上がったその時───。
ガシャーン───
窓ガラスを破って飛び出してきた人影。
「!!?」
私は反射的に身を隠す。
背中から落ち、無様に転がるその人影が何者であるかを確認する前に、新たな人影が窓から躍り出て来た。
手には長柄の得物。 ───槍。
そして、その人影は間断なく転がっている者を追撃した。
ガキィン!!
衝突音とともに火花が散る。
追撃が、立ち上がりざまに繰り出された鉄パイプのような何かに弾かれたのだ。
私は、突然の事に状況が把握できない。
どちらかが衛宮で、どちらかが賊なのは間違いない───。
せめてそれだけでも把握しようと、懸命に闇に目を凝らす。
そして、鉄パイプを持った人影が衛宮だと視認できた瞬間───
「────飛べ」
───衛宮は、宙を舞っていた。
「───!!?」
ドガッ───
「ぐっ────!」
衛宮は、20メートル近く弾き飛ばされ、土蔵の扉に打ちつけられる。
───今のは蹴りか?
だとすれば、なんというデタラメだろう。
如何に修練を積んだ者であれ…
人の身で、
「─────フッ」
刹那、賊は槍を構え衛宮に向かって
その速度たるや、衛宮が蹴り飛ばされた速度にも勝るだろう。
僅かに身を屈めただけの、助走すらない跳躍があれ程とは───。
───人間ではない。
アレが何者であるかは解らぬが、間違いなく人間でだけは在り得まい。
「─────!!」
───あの
声が出ない。
体が動かない。
あの誓いは何だったのか。
ただ、己の無力さを思い知らされて…。
何もできずに終わってしまうのか……。
差し出すと決めた代価───
───私の命程度では、その
今朝の夢がフラッシュバックする。
ああ… またしても……
───私は、ただ絶望することしかできないのか…。
目の前が…
暗く…
………
………
………
……私は、衛宮の死を確信し、絶望した。
───ギィン!
「ぇ………?」
だというのに、これはどういう事なのだろうか?
───ギンッ! ガキィン!!
失意に崩れた私を再び
月下に切り結ぶ白銀の騎士と青い戦士。
そして、白銀の騎士に護られる様に控え立つ衛宮。
─────衛宮は、殺されてなどいなかった。
「ハッ───!」
青い戦士が真紅の槍を繰り出す。
ガキン!! ガキィン!!
対して、白銀の騎士は見えない『何か』でその刺突を弾き、反撃する。
そのたびに激しく火花が散り、白光が庭を照らしあげた。
「──────」
白銀の騎士の見えない武器もそうだが、それ以上に私を驚かせたのは……
その姿が、凛々しくも可憐な少女だった事だ───
砂金をちりばめたような髪。
澄みきった聖緑の瞳には、猛々しい闘志を宿している。
月光を身にまとい戦う姿は、戦の女神と称するのが相応しい───。
そして、
「………そうか、これは夢か………」
そうに違いない。
そうとしか考えられない。
夢中に囚われているのか、それとも幻を見ているのか…。
どちらでも構わない。 とにかく、さっさと覚めてほしい。
でないと…
望んでしまう。
望むべきではない事を…。
『これが、現実であったなら』───と。
それを望んでしまったら……
私の心は、二度と現実に戻れなくなってしまう───。
「卑怯者め、自らの武器を隠すとは何事か……!」
「────────」
ガキィィィン!!
衝突音と閃光。 そして、青い戦士の呪いじみた声で我に返る。
「………ぅむ…」
認め難いが…
「これは… 現実なのか…?」
実際、目の前の戦いはあまりにも現実離れしていた。
それでもなお、素人の私にすら感じられる程に猛る闘気と殺気が、否応なしにこれが現実だと訴えかけてくる。
「………」
私は、青い戦士を見た。
彼は真紅の槍を繰り、白銀の騎士の斬撃を防ぎ、後退しながらも紫電の如き突きを放つ。
「………」
穂先の速度はもはや目で追えるものではなく、紅い残光が見えるのみ。
あれが、衛宮を殺した相手か…。
なるほど確かに、あの技量を以ってすれば彼の心臓を身構える間もなく貫けよう。
それに、あの動きはどうだ。
不可視の刃の所為で白銀の騎士に圧されてはいるものの、そのしなやかさは『狩る』事に特化された野獣を思わせる。
青い闘衣は月光を映してなお蒼く染まり、その動きに合わせて燐光の帯を引く。
鮮血を思わせる赤い瞳は、宿した獣性を隠そうともしない。
それでいて、その輝きは無垢なるルビーのように孤高だった。
「………」
正直、私は見惚れていた。
騎士と戦士の戦いに。
白銀の騎士こそ衛宮を護るために参じた者であろうが、片や青い戦士は衛宮を殺した相手のはずだった。
許せなかった。 憎みさえしていた……。
だが、その憎しみは彼らへの驚愕と畏怖に取って代わられ、今やそれすらも戦いの美しさに薄らいでしまっているのだ。
それは、一切の無駄も飾り気もない。 ただひたすらに命を鋼に込めてぶつけ合う死の剣舞。
込める命の気高さは、無骨な鋼の音すら美しい旋律に変える。
これこそが『極めし者』の至るべき戦いだと評したとて、誰に
叶うなら、この剣舞がいつまでも続いて欲しいとさえ、思えてしまう。
だが、この戦いが相手を倒す事を旨とする以上、やがて終わりは来る。
「────」
白銀の騎士が渾身の一撃を振り下ろした。
「調子に乗るな、たわけ────!」
青い戦士はそれを飛び退ってかわす。
勝ちを意識しすぎた浅慮な一撃は、空を切り地面を抉るのみ。
青い戦士は、その隙こそ必勝の機とばかりに自らの着地と同時に仕掛ける。
それは、さながらフィルムの逆回転の如く。
「ハ────!」
「────!」
しかし、そうはさせじと白銀の騎士はコマのように身体を回転させ───
「!」
地面に突き刺さった剣を、鞘から抜き放つかのように横薙ぎにする。
その剣閃は、まさに疾風。
「ぐ────!!」
青い戦士はすんでのところで後退し、その一撃をかわした。
「………」
呼吸すらできない刹那の攻防。
私は、その凄まじさに息を飲んだ。
互いに放った一手は必殺。 されどかなわず、騎士と戦士は大きく間合いを取る。
「───どうしたランサー。
止まっていては槍兵の名が泣こう。 そちらがこないのなら、私が行くが」
「……は、わざわざ死にに来るか。それは構わんが、その前に一つだけ訊かせろ。
貴様の宝具────それは剣か?」
白銀の騎士の挑発をかわしつつ、青い戦士 ───ランサー─── は問う。
おそらくは、見えない武器に対する情報を少しでも得る為だろう。
刃を交える相手として、その武器が
しかしながら、その口調はあくまでも軽かった。
「───さあどうかな。
戦斧かも知れぬし、槍剣かも知れぬ。 いや、もしや弓という事もあるかも知れんぞ、ランサー?」
倒すべき相手にくれてやる情報などないと、不敵に笑う白銀の騎士。
「く、ぬかせ
ランサーは唇の端を吊り上げて笑う。
その名が
互いにとって見え透いた問答。
それの意味するところは……。
「?」
ランサーが槍を僅かに下ろした。 それは戦意喪失の表明にも見える。
その行為にセイバーは困惑し、逆に衛宮は緊張の色を強くした。
つまり、衛宮はあれの意味を知っているという事か…。
「……ついでにもう一つ訊くがな。 お互い初見だしよ、ここらで分けって気はないか?」
「────────」
ランサーから発せられた一時休戦の提案に、セイバーはその表情を険しくする。
「悪い話じゃないだろう? そら、あそこで惚けているお前のマスターは使い物にならんし、オレのマスターとて姿をさらせねえ大腑抜けときた。
ここはお互い、万全の状態になるまで勝負を持ち越した方が好ましいんだが────」
「───断る。 貴方はここで倒れろ、ランサー」
セイバーはその提案を一蹴した。
敵は悉く切り伏せるのみ、と、半歩踏み込み、剣を握りこむ。
「そうかよ。ったく、こっちは元々様子見が目的だったんだぜ? サーヴァントが出たとあっちゃ長居する気は無かったんだが────」
ランサーは、何かを諦めたかのように息をつき…
そして、セイバーを悪鬼の形相で睨みつけた。
───瞬間、世界が凍りつく───
「宝具────!」
セイバーの表情に緊張が走る。
『宝具』という言葉の意味するところは解らぬが、ランサーの槍から発せられる禍々しい気配に、それが生半可なモノではない事だけは解った。
先程の、『極めし者』としての剣戟など、もはや語るに値せぬ。
「……じゃあな。 その心臓、貰い受ける────!」
「────」
彼らの戦いの真骨頂は、ここにこそあるのだろう。
「“────
ランサーが槍を放つ。
これこそが、真に『必殺』なのだ─────────。
「───え?」
果たして、放たれた一撃は必殺のそれであるはずだった…。
が、その穂先はあろうことかセイバーの足元を狙っている。
───何故!?───
「“────
私がその疑問の答えを模索するより先に、それは成る。
槍の穂先が、セイバーの心臓に向けてその軌道を変えたのだ。
「────!?」
───ずしゃぁ!!
胸を穿つ一閃。
その一撃に弾き飛ばされるも───
セイバーは空中で体勢を立て直し着地する。
「は───っ、く……!」
セイバーが胸を押さえて苦しげに呻く。 心臓は外れたとはいえ、やはり傷は深いのだろう。
それはいかなるトリックか。 セイバーが全力で後退していなければアレは確実に彼女の心臓を貫いていただろう。
「呪詛……いや、今のは因果の逆転か────!」
驚愕の色すら浮かべてセイバーが言った。
因果の逆転…?
それはつまり、『因』を以って『果』を為すという
『果』を定めて『因』がそれをなぞるという形に─── 文字通り逆転させたという事か!?
……あり得ない。
その様を目の当たりにしても、そのカラクリを聞いても、私には到底納得できるものではなかった。
「は────ぁ、は────」
セイバーが呼吸を整える。
見るとすでに出血は止まり、傷も塞がりかけていた。
「…なんと……」
事ここに至り、私はようやくそれを認めるしかない事を悟る。
その不条理… 神秘こそが彼らの在り様。
彼らは───
人の姿をしているだけの化物なのだと───。
しかし、傷が治っていくとはいえ、セイバーが深手を負っている事には違いない。
「………?」
ランサーはその必勝の隙を目の前にして微動だにしない。
「───躱わしたなセイバー。我が必殺の
彼は、そう言いながらセイバーを憤怒の形相で睨み付けていた。
「っ……!? ゲイ・ボルク……御身はアイルランドの光の御子──!」
「……ドジったぜ。 こいつを出すからには必殺でなけりゃヤバイってのにな。まったく、有名すぎるのも考え物だ」
己の正体を言い当てられたからなのか、ランサーの表情から怒りが消える。
…もっとも、私には何の事やらイマイチ判らなかったが…。
「己の正体を知られた以上、どちらかが消えるまでやりあうのがサーヴァントのセオリーだが……あいにくうちの雇い主は臆病者でな。 槍が躱わされたのなら帰ってこい、なんてぬかしてやがる」
気の置けない友人に愚痴るかのように軽い口調で、ばつが悪そうに言う。
そして、一足飛びに、庭の隅まで後退した。
「──逃げるのか、ランサー」
それを負わんと身構えるセイバー。
「ああ。 追って来るのなら構わんぞセイバー。
ただし───その時は、決死の覚悟を抱いて来い」
むしろその方が楽しめると言わんばかりに、ランサーは唇の端を吊り上げて笑う。
「待て、ランサー……!」
逃がすまいと駆け出すセイバーに構わずランサーは壁を軽く飛び越える。
「─────ぁ」
月を背に跳躍する彼の姿が、妙に私の心をざわつかせた。
ほんの一瞬だが、ランサーと…
目が合ったような… そんな気がした………。
戦いは終わり、月の隠れた宵闇の庭で…
私は、しばし呆然としていた…。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ときにシロウ、この屋敷に結界が張られているのはご存知ですか?」
「ん… 見知らぬ人とか、敵意のある者に反応する結界だろ?
もちろん知ってる」
玄関先で、唐突に二人がそんな会話を交わす。
ちなみに、私は玄関の脇の垣根の裏に隠れている。
あの後、呆然としていた私をよそに、敷地の外でもう一戦やらかしたらしい。
その相手はあろう事か遠坂 凛だった。
これには、さすがの私も驚いた。
恋人だった人が白血病で、それが実は異母兄妹だったという位驚いた。
だが、同時にそれを変だとは、全く───思わなかった。
「そうですか、でしたら問題ありません」
「なにがさ?」
衛宮はなにがなんだかという顔でセイバーを見返している。
「気にしないで頂きたい
ちょっとした確認ですので…」
あ……
分かってしまった、セイバーの言葉が誰に向けられモノなのかが…。
私にだ…。
彼女はつまり、私に気付いたうえで『シロウの知人で敵意がないなら見逃しましょう』と言っているのだ。
でなければ、私はここで垣根ごと真っ二つにされるに違いない。
「さ、アーチャーのマスターが待ちかねているようだ
中へ入りましょう」
「おう」
セイバーに促され衛宮は中へ入っていく。
そして、それに続くセイバー。
「早々に立ち去り、貝のように口を閉ざしなさい」
扉が閉じる直前、セイバーは垣根の裏の私に向かって早口にそう告げた。
Tactics 1−3 【聖杯戦争】
帰路、私は海浜公園に立ち寄った。
深夜の公園、しかも土曜(時間的には既に日曜)といえば、酔っ払いや[Ba]カップルのメッカなのだが、今夜は珍しくそれらの気配が全くない。
まぁ、いたらいたで[Ba]カップルは乙女な私の口からはとても言えない行為に勤しんでいるわ、酔っ払いはそこここ構わず汚物を吐き散らかすわで、腹立たしいだけなのであるが…。
去年の夏などそれは、もう… ……いや、思い出すまい。 脳が穢れる。
ガサリ……
小さく首を振り、植え込みに隠してあった荷物を回収する。
「ふぅ…」
私は安堵の息をついた。
吐き出した白い息は、外灯の光を受けながら風に流れ、やがて消える。
安堵したのは、衛宮を護ってくれる者が現れたことに対して、だ。
これでもう、私が衛宮に関して心配する事は無くなったと言える。
まぁ、同時にひどく遠い世界の住人になってしまった気もするが、それは気にすまい。
………
……
…
さしあたっての問題はといえば…
そうだな…
──────私を護ってくれる存在は、いないと言う事だろうか──────
「よう、嬢ちゃん」
やはり来た───。
後ろから掛けられたのは、十年来の旧友に向けるような軽い言葉。
だがそれが、今まで聞いたどのような言葉より恐ろしいと感じた。
脳から脊髄、果ては手足の先まで、全身の神経が凍結したような感覚。
ただ一つ。 心臓だけが狂ったような鼓動を刻んでいる。
「嬢ちゃんが何であそこに居たのかは知らねぇし、訊かねぇ…
だが、お前さんは見ちゃいけないものを見ちまった───」
背後から感じる死の気配───。
それだけで発狂しそうだ。
───だが、ここで錯乱してしまえば、間違いなく殺される。
この局面─── 私の武器は知性をおいて他にない。
噴き出しそうな恐怖を理性で無理矢理に制し、乱れる呼吸と身体の震えを懸命に抑える。
「悪いが─────」
「…まぁ、待ってくれ」
「───?」
『死ね』と言われる前に言葉を遮る。 できるだけ平静を装った声で。
私は、この期に及んでも振り向く事はしていなかった。
拳を握り締め、振り向きたい衝動を必死に抑える。
ランサーに背中を向けたまま、荷物を持って直立不動。 これが私の姿勢だ。
なぜなら、振り向けば必ず殺されるだろうからだ。
しかし、逆にランサーは無抵抗の人間を後から刺すようなマネはしない… とも思ったのだ。
………
「見逃してくれ… などとは言えぬ」
言ったとしても、それが聞き入れられる事などなかろう。
「だが、ならばせめて───
─────冥土の土産ぐらいは持たせてくれぬか?」
「…冥土の土産、だぁ?」
「うむ」
私は、ゆっくりと振り向いた。
死に行く者の望みを無下にするほど、彼は冷徹ではあるまい。
「先の戦いの意味するところ… 私は、せめてそれを知りたい」
「は… 知らずにすんだほうが幸せかも知れねぇぜ?」
ランサーは、口の端を歪めて笑う。
「ああ、それでも構わぬ
土産の凄さに、閻魔や獄卒が目を剥く姿を想像するのもまた一興なのでな」
その言葉にランサーは「地獄行き決定かよ…」と、呆れた顔で肩をすくめた。
まぁ、その辺は言葉のアヤだ。
もっとも、自分で天国行きを公言できるほど真人間でもないがな…。
「いいぜ、簡単にだが… 話してやるよ」
───とりあえず、時間稼ぎには成功したようだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なるほど…な」
それは、にわかには信じ難い話だった。
この地で行われている戦い… その名を『聖杯戦争』というらしい。
『聖杯』の名を冠するとおり、勝者に与えられるのは聖杯…。
あらゆる願いをかなえるという万能の杯だ。
魔術師達は『英霊』と呼ばれる過去の英雄を、召喚し、使い魔として従えその戦いに臨むのだという。
その使い魔をサーヴァントと呼び、令呪を以って律するのだとか。
そもそも、『英霊』を7体も現界させるのは聖杯を以ってせねば為せぬほど法外な『奇跡』だそうで…。
…この辺りは、魔術師としての知識をある程度必要とするらしくイマイチよく分からなかった。
法外な奇跡などと言われても、その尺度を持たないは私にはピンと来ない。
魔術師である(に違いない)遠坂あたりが聞いたら「この凄さが分からないなんて、これだから一般人は」とか言われそうだな…。
「───納得したか?」
「ああ、で、そなたはその聖杯に何を願うつもりなのだ?」
「んあ? 別に何もねぇよ…
まぁそうだな、妥当なところで二度目の生って辺りにしようと思ってたんだが……」
「───思ってた?」
戦いは、まだ続いている。 ランサーとてこうしてここにいる以上、願いをかなえる機会が失われているとは思えない。
「いや、こっちの話だ」
ランサーは素っ気無く話を切る。
「そうか、では…
その前の、聖杯に願うことがないとはどういうことだ?
そなたは願う事があるからこそ召喚に応じたのではないのか?」
英霊はすべからく聖杯を求めるが故にサーヴァントに収まり魔術師に従うのだと、つい先程ランサー本人に聞かされたばかりだ。
だが、彼にはその願うべきことがないのだという。
「俺はな、ただ強ぇ奴と死力を尽くした戦いってやつがしたかったんだが…」
肩をすくめ「それも今となっちゃぁ… なぁ」と、うんざりしたように言った。
「それだけなのか…?」
拍子抜けするほど簡単な願い。
しかし、それを変だとは思わなかった。
「ああ、俺は『戦う者』として英雄の『座』に至ったがな…
生前の戦いは、あまり楽しいモンじゃなかった」
「俺と戦う奴らは謀略やら何やら… 搦め手ばかり使ってきやがった
生涯、心底楽しめた戦いは数えるほどしかねぇ───」
「………」
そういうことか…。
ランサーは生前、強すぎる故に望む戦いを封じられ、おそらく非業の死を迎えた…。
故に、であろう。 古今東西様々な英霊が集い、文字通り死力を尽くして戦う『聖杯戦争』に己の願いの成就を託したのだ。
彼は、戦う事に対してどこまでも純粋であったということか。
「ま、そういう訳だ」
一歩下がるランサー。
「話はここまでだ、情が移ってもいけねぇしな」
そして、「ただでせさえ、胸クソ悪ぃ役目なんだからよ…」と呟きながら槍を具現化する
「………」
緊張が走る。 私はランサーを凝視する。
「───あばよ」
真紅の穂先が
私は、その槍を…
─────ズシャッ!─────
「む─────」
「くぅ……っ」
間一髪で避けた。 が、完全に避けるには至らず、背にしていた木に肩を縫い付けられる。
貫かれた肩に激痛が走る。
「───いけねぇな、嬢ちゃん
冥土の土産って、約束だろ?」
ランサーが苦笑する。
「済まない… 死ぬ訳にはいかなくなった…」
「あ?」
そんな私にランサーは、槍を抜こうともせず「我侭言うんじゃねぇよ…」と、まるで子供を嗜めるように言った。
「正直に言うとな、逃げ切るつもりだった…
時間を稼いで、誰かが通りかかった隙を突くなりしてな…」
生憎、誰一人として通りかからなかったが…。
努めて笑みを浮かべ、私は槍に手を添える。 抜こうとするでも、押さえつけるでもなく…。
痛い。 悲鳴を上げて転げ回りたいくらい痛かった。
「…」
それでも、そんな無様は見せられない。
「しかし、今はその気はない」
「逃げようとしてただろうが? 今…」
いや、アレは避けようとしただけだ。
「───関係ない話だが… 今日は二度ほど… ああ、今も含めて三度か…
死を、覚悟した───
だから今更、生に齧り付くつもりはないのだが…」
「…言ってることが、矛盾してるぜ?」
そうかも知れん。 が、それを無視して話を進める。
「今、思ったのだ… それも一つの逃げだったのだな… と」
私は、自分がどんな死に方をすれば、そのあとに後ろ指をさされないか…そんな事ばかり気にしていたような気がする。
見捨てて生きることも、背を向けて死ぬことも恥ずかしいと考えていたのだ。
例えば、私が死んだ後 由紀香や衛宮がどうなっても…良かったとは言わないが… 少なくとも『助け続ける』事からは逃げていたと言えよう。
「だから、死ぬ訳にはいかん───」
逃げんし、死なん───!
「だったら… どうする?」
「お主こそ… さっさと殺さないのか?」
見え透いた挑発。
「その気なら、私の与太話など聞かずにさっさと殺せばよいのだ」
理由は分かっている。 ランサーは私を殺すことに少なからず躊躇いを覚えているのだ。
「………」
「言ったな? ランサー…『胸クソ悪い役目』だと…」
「言ったがどうした?」
怪訝そうにこちらを見るランサー。
「私はな…」
ゆっくりと目を閉じる。
「戦っているお主を、美しいと思ったのだ
衛宮を殺したお主を一度憎んだ…
そして、強く恐れた…
……だが… 何よりも美しいと感じたのだ」
脳裏に浮かぶ
「──────?」
「だから… ────」
言葉を続けようとした、その時───
「ふぅん… 随分と面白そうな話をしてるじゃない…」
可憐な少女の声が、それを遮った。