Tactics 2−1 【日常攪拌 ──寝坊とバスと煙突と…──】
───そこは、何もかもが空っぽだった。
…逝った人達の棺桶は空っぽで。
…遺品は地獄の業火に焼かれ。
…住みかはことごとく瓦礫と化した。
…その人達を示すモノは壇上の遺影のみ。
…そして、私は彼らと紡いだ思い出すらも失った。
…悲しみの涙に暮れる
…
間違っているのは世界なのか私なのか……
「■■■…」
遺影の前に立ちその名を口にした時、私は理解した…。
───
それが、怖かったのだと思う。
気がつけば、私は走っていた。
葬儀場を飛び出し、川に向かって。
慌てて
いやだ… もういやだよ─────
「─────どうして逃げるの!!」
しらない────!
「─────あんなに仲良しだったじゃない!!?」
そんなのしらない─────!!
「─────■■■ちゃんが悲しむぞ!!」
わたし、そんなのしらないもん!!!
大人達は、私の知らない人達の写真を花で飾り立て、涙を流していた。
それが正しいのだと無言で主張し、それを押し付けてくる。
空っぽの箱の前に私を引きずり出し、その
─────気が狂いそうだった。
逃げて、逃げて… いつしか辿り着いた、真っ暗な空間。
わたしは、ひとりぼっち─────
暗闇の中で膝を抱える“わたし”───
“わたし”だけの世界。
孤独だった…
でも、それでも… 怖くはなかった。
今になって、ようやく“私”は、思い出す。
かつて、探検と称してここに連れ込んだ少年の事を。
闇に怯える私の手を力強く握ってくれた、そのぬくもりを。
─────“わたし”はここが初めてではなかったのだ───。
あの頃いつも一緒にいた、大好きだった
「■■■…?」
生憎、今の“私”にさえ呼ぶべき名前は存在しない。
けれど、ぬくもりだけは、このてのひらに…─────。
だから、きっと───。
私が、思い出を失くしても…。
“
………
………
─────ピロロロロロロ♪ ピロロロロロロ♪
枕元で鳴り響く携帯電話の着信音。
誰だろう、こんな朝早くに…。
「むうぅ……」
起きたくないとグズる脳を無理矢理起動させ、携帯電話の画面を覗き込んだ。 画面には───
『蒔寺 楓(携帯)』
───と、表示されている。
むぅ、あやつが私の起床より先に活動しているのは珍しい。
───ピッ♪
「…もしもし、何用だ?」
私が電話に出るなり耳に飛び込んできた声は───
「鐘ちゃぁぁぁぁぁぁん!」
───由紀香のものだった。
…むう? 何故に蒔寺の携帯を由紀香が使っているのだ??
………ああ。
そうか、由紀香は携帯を持っていないのだったな…。
…というか、何をそんなに切羽詰っているのだ?
「…お、おはよう…」
「おはようじゃないよ、鐘ちゃん! もうお昼前だよ!?」
「───なぬ!?」
由紀香の言葉に、否が応にも目が覚める。 私は、慌てて目覚し時計を確認した。
───── 11:25 ─────
時計の針の指し示すその時刻に愕然とする。 …全然、朝早くなどないではないか。
待ち合わせの時間はおろか、部活の開始時間も軽ーくオーバーしている。
…むうぅ… これが、ぶっちぎり大遅刻と言うものか…。
「いや、すまない由紀… 随分と寝過ごしてしまっていたようだ…」
そういえば、昨夜の就寝時間は午前4時を回っていたな…。 無理もない事と言えばそうかもしれぬ…。
「ホントだよぉ… 鐘ちゃんったら、何回電話しても出てくれないし…」
む? そうだったか?
そういえば、何度か電話が鳴っていたような… そうでないような…。
完全に熟睡していたのだろう。 イマイチ思い出せない…。
「すまない… その…」
「鐘ちゃぁん…
わたし… …っ ……ひっく…」
───なっ!?
突然、由紀香がしゃくり上げ始めた。 私に対して怒っているのかと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
「どうしたのだ、由紀!?
まさか、私が寝坊した事で何か───」
誰かに責められたのか? それとも何かのトラブルか───!?
「だって… 昨日… あんな事… ったか…ら…
鐘ちゃ…に 何か…あった …じゃないかって… わたし… わたし…」
「あ……」
そうか、そういう事だったか───。
私はようやく由紀香の胸中を察した。
あんな事とはつまり、昨夜倫理のレポートを取りに行った際に校内で不審者に遭遇した件だ。
…アレの正体は衛宮だったわけだが、由紀香はそれを知らない。
そして、その翌朝の待ち合わせに私が現れず、何度電話しても応答無し───
これでは、心配するなと言う方が無茶かもしれない。
「…心配するな、由紀。
私はこの通り無事だ───」
そう言って、些か貧弱な力こぶを作ってみせる。 もっとも、電話なので由紀香に見せる事はできないのだが…。
「───うん…っ うん…っ」
それでも、安心はさせられたのだろう。 由紀香は本当に嬉しそうに涙声で「よかったよぅ…」と何度も繰り返す。
「由紀香… 心配をかけて、本当にすまない…」
事は全て私の我侭であり、浅はかさでもある。
倫理のレポートを取りに行くと決めたのも、
それに関して私の身に起こった事は全て自業自得であるし、そうした事を後悔もしていない。
だが、由紀香にとってそれらは紛れもなく自分の過失であったのだ。
自分がレポートを忘れた所為で私の身に何かあったかも知れないなどと…。 きっと、誰にも相談できなかった筈だ…。
由紀香がどれほど悔い、どれほど己を責めたかなど… 想像すらできない…。
───繋がらない電話、募る不安。
私に電話を掛けるとき、出ぬと諦めて電話を切るとき… 彼女はこの上なくいたたまれない気持ちだったろう…。
それでも…。
それでも私の無事を祈り、神にも縋るような気持ちで電話を掛け続けてくれたに違いない。
そんな由紀香を尻目に安穏と眠っていた自分が腹立たしい…。
遅刻・寝坊云々よりも、単純に私が由紀香を苦しめてしまった… その事実の方が、私には堪えた。
「いいよ… 鐘ちゃんが、無事なら… 私、嬉しいもん」
「─────!」
……由紀──────。
「ありが────」
とう… と、言うより早く───
───パシッ
「───やいこら鐘っち!
部活をサボるという狼藉をタナに上げて逆ギレたぁ、いい度胸じゃんか!!」
───携帯から聞こえてきたのは、蒔寺の凄まじい怒声だった。 おのれ、耳が痛いではないか……。
そして、その後ろからは「楓ちゃーん、ちがうよぉーっ」 という由紀香の声が聞こえてきている。
「だっ… 誰が逆ギレなどするものか!」
逆ギレはお主の
「由紀っちを泣かせといて何言ってんだ!」
「だから……!!」
そうではないと───
「───分かってんのか!? 由紀っちがあんたの事をどんだけ心配してたか!!
それを───!」
あ─────
…そうであった。 逆ギレ云々など問題ではない。
問題とすべきは、私が由紀香に余計な心配をかけたこと… そして、蒔寺がそんな由紀香をまた心配していたということ…。
───蒔寺は怒っている。 それも本気で。
普段から起伏の激しい性格ではあるが、彼女が本気で怒ることは案外少ない。
そしてこれまで、彼女が本気で怒る時… それは常に誰かの代弁者としてであったように思う。
おちゃらけで、度し難いほど単純で、事実改竄癖持ちで、着眼点が常に何処かズレてはいても、蒔寺 楓の本質はやはり思いやりのある少女なのだ。
「すまない… 逆ギレは認めるわけにはいかんが
由紀にひどく心配をかけてしまったことは、事実であったな…」
「ふん、分かりゃいいんだ…
それにな、あたしも心配したんだぜ?」
「うむ… 本当に、すまない」
「…帰りにタカる相手がいなくなるじゃんか、なあ?」
「───そっちか!!」
そういった心配をされても、全く嬉しくないどころかこの上なく腹が立つ。 というか、何が「なあ?」だ! そんな事に同意を求めるな!
「まったく… お主という奴は………
───ありがとう」
おちゃらけで、度し難いほど単純で、事実改竄癖持ちで、着眼点が常に何処かズレていて、私をいつも怒らせるくせに… こんなときは、あっさりしたその性格に心底救われる。
お主が親友で、よかった───。
「…よっしゃ! ───(喜べ由紀っち、今日の帰りは鐘っちのおごりでフルールのクレープ食べ放題だぜ!!)」
「───何ぃ!?」
携帯の向こうで蒔寺がとんでもない事を口走る。 私がいつ、そのような事を言った!?
…蒔寺め、人が少しばかりしおらしくしていたら、早速事実を捏造しておる。
「───そうだよな?」
しかも、携帯だから聞こえないと思ってか白々しく同意など求めおって…!
………
「………
そうだな…」
まぁ、でも、それも悪くない。
二人に礼と詫びをかねて、ここは一つ奮発する事にしよう。
「…だが、ひとつ条件がある───」
「なんだよ? 何でも言ってみな」
「うむ、簡単な事だ… 私がそちらに辿り着くまでに───」
───由紀香を笑顔にしておく事、だ───
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は随分と遅い『朝食』を済ませ、制服に着替えた。
ちなみに、制服は下ろしたてで眼鏡はスペアだ。
昨日着ていた制服のベストとスカートはクリーニングに直行決定。 肩に血痕のついたブラウスは破棄した。
眼鏡はランサーとバーサーカーに遭遇した際に紛失している。 まぁ、バーサーカーに踏み潰されたと思って諦めるしかなかろう。
命には代えられないとはいえ、昨夜の一件は結構な経済的ダメージを私に与えてくれた。
「聖杯戦争…か」
思わずそう呟き、机の上に出しっ放しにしてあった大学ノートを書棚に納める。
冬木市の闇に秘された戦い…。
私は
もしかすると、それは許される事ではないのかもしれない。
だが知ってしまった以上、書き記さずにはいられないのが私だ。
───己が願いの成就を託した聖杯を巡って魔術師たちが相争う、文字通り『戦争』。
私は昨夜、その一端を垣間見た。
───サーヴァント
あらゆる時代・場所から召喚された英雄の顕現。
魔を滅し、邪を屠った戦の化身達…。
───ランサー
───セイバー
───バーサーカー
人の身では及ぶべくも無い彼らの戦いは、私の脳裏に強く焼き付いた。
そして未だ見ぬ、あと4人のサーヴァントたち。
戦いの果てに誰が勝利を掴み、何を願うのだろう…。
まぁ、結末がどうであれ、私がそれに関わる事は無い筈だ。
それでも───
「ランサー…」
大学ノートの背を、つ… と撫で、『死力を尽くした戦いがしたい』と願っている青きサーヴァントの名を呟く。
───お主に最後まで勝ち残って欲しいと願うのは、私の我侭なのだろうか…。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
小気味よいエンジン音を響かせてバスが走っている。
視界を流れていくビル群。 空は快晴。
窓際の座席から見る澄み渡った冬空は実に清々しい。
「………」
だが、バスが大橋に差し掛かった時、私の心は否が応にも掻き乱される。
なぜなら、見えてしまったからだ、アレが…。
大橋の袂に見える海浜公園の隅に蟻のように群がる人々。
パトカーや重機などもちらほら見える。
その中心には、地面を抉る大穴といくつもの亀裂。
「随分と酷い事になっておるな…」
───申し訳ない、ソレをやったのは私なのだ…。
「そうだねー」
……?
「それもこれも、バーサーカーの豪力があったればこそなのだが…」
「うんうん───」
………はて?
「───さすがはわたしのバーサーカーね」
あり得ない相槌に私は首を傾げ、その後に続いた言葉に比喩ではなく、硬直する。
は? …わたしの…バーサーカー……ですと?
そんな筈は無い… というか、あって欲しくない。
───どうか空耳であってくれ。
私は、振り返るのを頑なに拒む首を無理矢理に動かして背後を確認する。
「こんにちは、お姉ちゃん」
「───うわぁぁあぁ!???」
そこには、可憐な笑顔で微笑むイリヤスフィールの姿があった。
「───なによ、失礼ね
…いきなり悲鳴なんてあげちゃって」
こちらの反応に面食らったのか、大きな目を瞬かせながら彼女があとずさる。
ちらと周りを見渡せば、乗客の目線はことごとく私達に集中していた。
日曜の昼時とあって、深山町行きであるこのバスの乗客はさほど多くはない。 だが、それは逆に乗客全員の視野に私達が入り得るという事でもあった。
その気恥ずかしさに私は「お騒がせして申し訳ない…」とただただ謝り、畏縮する。
……
「…驚かいでか─── この状況で」
私は声のトーンを落としながら言う。
片やランサーの協力者、片やバーサーカーのマスター。 昨晩敵対していた者同士だぞ!?
「ん? わたしがバスに乗ってるのって…変?」
「そうではなく、だな───」
だが、当のイリヤスフィールにはそういった感覚はないようだ。 あくまで、乗客対乗客としての反応を示す。
うーむ。 これでは変に警戒している私がかえって間抜けだ。
ここはいたずらに刺激しないためにも、私からも歩み寄るべきなのかも知れん…。
「───イリヤ。 それは、違うと思う」
そのとき、イリヤスフィールの背後に女性がぬっと現れた。
その女性は、『白黒反転した修道女』といった感じの服装をしている。
言葉もイリヤスフィールほど流暢ではなく、欧米のネイティヴな発音が残っていると感じられた。
イリヤスフィールと同じ赤い瞳と白い肌、そして対称的に豊かなプロポーション。 彼女がイリヤスフィールの母親なのだろうか?
「どーいうこと…?」
「───この子、わたしたちが、お金を持ってないって、思ってる」
「違う───!」
私は、淡々と無表情に告げられた言葉に思わず声を荒げた。
先程の会話のどこをどう解釈すればその様な結論が出せるのだ?
「でも、持ってないのは本当。
セラから貰ってくるの、忘れた」
「───え!?」
衝撃の告白。 万歳、
「だってリズ…
さっき聞いたらお金は心配いらないって!」
「………(こくり)」
イリヤの言葉に全く動じず、リズと呼ばれた女性は無言で頷いた。 そして、私の方を ───イリヤスフィールではなく─── 無表情に見つめてくる。
お金は無いが、心配は要らないという矛盾。 そして私。
…あー、読めてきたぞ。
当のイリヤスフィールも、心得たとばかりに私にずいっと迫ってきた。
そして、手を組んでおねだりのポーズ。
「お願い───
お姉ちゃん! お金貸して「…かして…」!」
「………」
…やはり、そうくるか。
昨日戦った筈の相手からバス代の為に拝み倒されるとは… なんとも珍妙な状況だ。
というか、座席の上に土足で正座するのは止めるべきだと思う。 行儀が悪いぞ。
そして、リズとやら。 イリヤスフィールと一緒にお願いしているつもりかも知れんが、そのような無表情で言われても、正直、全く心が動かん。 いや、むしろマイナス印象だ。
「むぅ…」
…とはいえ、断るのはやはり人間として問題があろう。
市内均一料金210円の善意で人間の尊厳が保てるなら安いものだ… というのは、さすがに大げさか…。
「───仕方ないな…」
そう言って苦笑する私に、イリヤスフィールは手を上げて喜んでくれた。
そして、リズは「ぶい」っと小さくガッツポーズ。 …って、無表情なくせに随分とお茶目なのだな、お主は。
かくして、赤い瞳の親子(?)は現金にも私の隣に陣取り、深山町の町並みを堪能し始めた。
…私も、この二人との道行きを素直に楽しんでみることにしようか…。
もっとも───
「わぁ…! あれ何? 何!?」
「ああ、あれはな───「むかし… 人は、砲弾にのって、月を目指そうとした…
その砲し───」違う! 有料の公衆浴場、いわゆる銭湯だっ」
「へぇ… セントー…
あれが、ジャパニーズセントーなのね? うわーい、セントー!!」
「セントー… 月には、行けない?
…残念」
「………」
───この羞恥に耐えられれば、だがな…。
ううぅ… 見られてる… 笑われてる……。
Tactics 2−2 【日常攪拌 ──落し物──】
【 Interlude start 】
午後、冬木教会───
セイバーは故あって、士郎にここを訪れるよう促した。
今頃、士郎はおそらく言峰神父から聖杯そのものの成り立ちや、アインツベルンと養父・切嗣の因縁について聞かされている事だろう。
その一方で───
教会の外で、セイバーは一枚の布切れとにらめっこをしていた。
水色で縁取られた純白の四角い布。
少し土に汚れたそれは、一枚のハンカチであった。
そして、そのハンカチの隅には小さく『Kane.H』と刺繍されている。
セイバーが今朝早くに衛宮邸の庭で拾ったこれは、言うまでも無く昨夜ランサーとの戦いを覗き見ていた少女の物だ。
あの時、セイバーは秘匿されるべき
それは、アーチャーのマスターである凛の手前、知人といえど…いや、知人だからこそ、その存在を知られる訳にはいかなかったからだ。
迂闊に敵マスターにこちらの
そう考えたのは、前回の聖杯戦争においてセイバー自身のマスターがそういう戦い方を積極的に用いていた所為でもある。
もっとも、幸いなことに凛に関してはそのような心配など不要であった訳だが…。
しかしながら、その選択は致命的な過ちを孕んでもいた。
あの場で相対していたランサーもまた、彼女の存在に気付いていたであろうからだ。
あの
しかも、士郎の話を聞く限り、ランサーは目の前の戦いより目撃者の抹殺を優先していたらしい。
ならば、得られる結論は自ずと一つに定まる。
「………」
ランサーは、間違いなく彼女を次の標的に選んだだろう。
そんな者の待つ
もしも、あの場面で凛が現れなければ… 士郎がその凛を倒す事を止めなければ、彼女を保護する事もできたのだが…。
───何もかも、間が悪すぎた。
士郎はセイバーに言った。「不要な犠牲を出さないために戦う」と。
だが…
「既に犠牲は出た… 出てしまったのです、シロウ…」
セイバーは悔恨も露に呟く。
目と鼻の先、手を伸ばせば届く場所にいた少女を、セイバーは『聖杯戦争の勝利』の為に見捨てたのだ。
仕方が無かった…といえば、その通りだ。
そのときのセイバーには保護という選択肢は採り得なかったのだ。
士郎が純然たる
そうであれば、あとは己の後悔を切り伏せ、心を殺して戦い続けるだけでよかったのだ。
だが、彼にそれは望めない。
「シロウ… この事を貴方が知れば、貴方はきっと私を責めるでしょう…」
そして、嘆き、それ以上に自分自分を責めるだろう。
彼は、そういう人物なのだ。
「なぜです… なぜ…」
セイバーは、虚空に問う。 同時に浮かんだそれは、責任転嫁も甚だしい考えであった。 何より彼女の本意ではない。
だが、言わずにはいられない。 セイバーはハンカチを握り締め、その落とし主を責めた。
「─────貴方は、そんなところにいたのですか…!?」
【 Interlude out 】
「それじゃあ、改めて───」
あれからしばらく後、バスを降りて一段落をつけた私たちは、道すがら自己紹介する事と相成った。
どういう訳かイリヤスフィールが私との同道を望んだからなのだが、まぁ、拒絶する理由も無い。
私は、少々訝しみつつも、それを承諾したというわけだ。
「わたしは、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン───
イリヤでいいよ」
スカートの裾をちょんと摘み、“イリヤ”は可愛らしくお辞儀する。
容姿や表情は子供こどもしているが、なるほど確かに、こうしてみれば淑やかな気品が垣間見える。
「それで、こっちは
わたしの従者のリーゼリット───」
「リズで、いい…」
リーゼリットは、目を閉じ首から上だけでお辞儀をする。
なんと、従者だったのか… 親子ではなかったのだな…。 しかし、それなら主人よりふてぶてしいのは、些か問題があるのではなかろうか?
「…リズで、いい」
「は?」
先程より少しだけ強い口調でリーゼリットが同じ言葉を繰り返した。
「どうしたの…? リズ」
「リズで、いい」
不思議顔で問うイリヤには応えず、さらに強い口調で同じ言葉を繰り返す
「ん、満足…」
今度は、僅かに目を細めて納得したように頷く。
「お主、もしや───」
───思考を読んでいたのか? だとすれば少々厄介なのだが…。
面食らう私の言葉にリズは首を横に振って応える。
「ううん、なんと、なく」
「…そうか、まぁいい
私は 氷室 鐘 姓が氷室で、名が鐘だ───
よろしく頼む」
「うん、こちらこそよろしくね、カネ」
「カネ… リッチそう、な名前…」
「…
「カネ、ちゃりん?」
「妙な呼び方をするなっ…!」
何だ、その奇天烈な敬称は? いくらなんでも限度があるだろう。
…思うのだが、どうも先程からリズは私をからかって遊んでいる節がある。 しかも、性格に掴み所が無い所為か先読みしてそれを抑える事もできない。
リズは、思考が短絡で分かり易い蒔寺とは間逆である。 彼女は、おそらく私にとってかなり苦手な部類に入る人間であろう。
「あははっ、それいいねー
そうだ、これからはカネりんって呼んであげるね?」
しかも、それにイリヤまで乗って来おるし…。
「やめてくれ、頼むから…」
「かわいい、のに…」
「ねー?」
渋面を作って拒否する私に対し、頷きあって不満の意を表す二人。
それは本気か? その呼び方はいくらなんでもアレだと思わんか? こらリズ、「韻を踏んでて、いい感じ…」とか言うな。 イリヤも「似合ってるのに…」などと、捨てられた子犬のような目で見るな。 そもそも、全く似合っとらんだろうが!
───ダメだ、ダメ、とにかくダメ。
本気でやめて下さい、お願いだから───。
………
………
「じゃあ、決まりね
───カネりん☆」
「仕方ない…か」
「…しゅん」
数分の議論の結果、私はイリヤにのみ“カネりん”という呼称を許可した。
もっとも、アレが議論と呼べるのかは甚だ疑問だ。 頼むから止めてくれと懇願する私に、イリヤは終始「イヤ」「ダメ」「気に入った」を張り通し、リズはリズで珍妙な寓話や故事で私の思考を撹乱する。
挙句の果てにイリヤは、魔術で『全ての人にカネりんとしか呼ばれないようにする』などと言い出した。
実際にそれが可能かどうかは分からぬが、仮に可能だった場合、それこそ取り返しのつかない事になってしまう。
仕方がないので、私は『イリヤのみ』を絶対条件として彼女らの要求を承諾したのだ。
「───それなら、わたしは、カネちゃりん、で」
「却下だ、ばかもの!」
そっちだけは、どんな条件を出されても飲まんからな───!!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「へぇ… ここが学園なんだ」
「うむ」
ややあって… というか、何だかんだで… というか…。 私たちは、とうとう学園の正門にまで到達した。
「学園といえば…
クラスで一番の、美人の席を奪い合って… バトルロワイアル…」
「…はぁ?」
また、リズが妙な事を言い出す。 どういう思考回路をしているのだ、お主は?
「えと… ヘヴン?」
「いや、ヘヴン? とか 聞かれてもな」
正直、わけが分からんのだが…。
それに奪い合うのは美人の隣の席だ。
まぁ実際は、なったらなったで緊張と周りのやっかみで授業どころではなくなるのだがな…。 以前、学年5位の男子がその所為でワースト10まで転落した事もあるのだ。 …割と、どうでもいい話だが。
「そんなことより、そろそろ話してくれぬか?」
「え…?」
「都合よくバスに乗り合わせたのを、まさか偶然だなどとは言うまい?」
その言葉に、イリヤは少し動揺して目線を伏せる。
私とてその事を考えなかった訳ではない。 単に、談笑している時にその様な話題も無粋だと思い、敢えて問いたださなかっただけだ。
「……うん
カネに、これを返そうと思って…」
そう言ってイリヤが取り出したのは白い包み。
「私にか…?」
その問いに、イリヤはこくんと頷く。
何だろう…。 返すというからには私の物なのだろうが… はて?
包みを受け取りおずおずと開いてみる。 まさか、爆発したりせんだろうな。
───しゅる…
「眼鏡…?」
純白のシルクに包まれていたそれは、昨夜なくした筈の私の眼鏡だった。
「大事なものなんでしょ?」
「……ま、まぁ」
私は反射的に曖昧な返事をする。 …言うほど大事…か? いや、確かに必需品ではあるのだが…。
「解るもの…
……すっごい太くて …それに、濃かった …から」
「カネちゃりん、ケダモノ…」
なぜか頬を赤らめながらもじもじするイリヤと、仏頂面で非難してくるリズ。
「いや、そういうネタは要らんから…。 と言うか、リズ。 その呼び方は却下した筈だが?」
「…ちゃりりん、今、全国八千五百万人の、『おにぃちゃん』を敵に回した…」
「…何がだ!」
というか、何でだ? 数字の根拠は? ちゃりりんとは私の事か!? …もう、ワケが分からん。
「───あはっ、でもホントだよ?
その眼鏡に残留していた霊気も、繋がってたラインも結構なものだったんだから
おかげで、カネりんを見つけるのは簡単だったわ」
「…そうなのか…?」
「うん」
まぁ確かに、物品としての『重要性』でなく、愛着という意味でなら相当に大事な物だ。 あまり物に執着しない私だが、この眼鏡との付き合いはかれこれ10年に近くになるだろうか。
「───ありがとう…」
礼を述べ、さっそく眼鏡を掛け替える。 うむ、やはり同じデザインでもこちらの方が肌になじむ気がするな。
「本当はね…
カネの事、殺しちゃおうって思ってたんだ
ボコボコのギッタンギッタンのミンチにしちゃおう─── ってね」
イリヤは、藪から棒にそう言ってバツの悪そうな苦笑いを浮かべる。 可愛い声でなんとも、まぁ、物騒な事を仰いまするな、このちびっこは…。
まぁ、それだけ私の行為は彼女のプライドを傷つけたという事なのだろうが。
「でも、バーサーカーが許してあげるべきだって… 言ったから」
「バーサーカーが?」
私はその言葉に目を丸くした。 イリヤの気が変わったからとかではなく、バーサーカーに諭されたから私を許すというのか?
まさか、戦いに狂ったあのサーヴァントにそんな感情があったのか…。 それ以前に───
「───喋れたのか… バーサーカーは…」
「ううん… 喋れないよ。
でも、バーサーカーとは繋がってるから… 言いたい事ぐらいはわかるの…
それに、狂ってるって言ってもね、それは戦いのときだけよ
普段は大人しいんだからね?」
「うん、バーサーカーは、優しい」
「そうなのか…」
正直、意外だ。 ランサーから聞いた限りでは、常に血に飢えているというイメージがあったのだが…。
「ちょっと不思議そうね
でも、バーサーカーはヘラクレスだから…
生前から狂気に苛まれ、ついにそれを克服した彼を完全に狂わせる事なんてできないってコト」
「………」
それを聞いた私の顔は安堵に緩む。 バーサーカーが単なる狂人に堕していない事、そして、イリヤがそれを好ましく思っている事。 それが、なぜだか嬉しかったのだ。
「ふむ…
して、…バーサーカーは、何と?」
「カネりんの勇敢で聡明な所が気に入ったみたい。
───その心意気に免じて許してあげてって… ね」
「そ、そうか…」
ギリシャの大英雄からそのような賛辞を賜っては、さすがに照れる…。 少しばかり思い上がってしまいそうだ…。
「それにね、わたしもカネりんの事が気に入っちゃった
だから、バーサーカーの言うとおりにしてあげるの」
───助けて貰った…という事でいいのだろうか? これは…。
「そうか、ありがとう…
私も、イリヤのことは嫌いではないぞ」
「わたし、は?」
「うむ、変な奴だと思っている」
「ひどい、カネちゃりん…」
その呼び方はやめいと言うに…。
「あーあー、リズのことも好きだぞ、 ───多分。
多分、多分だ。 多分だからな。
「…わたしも、同じ
───うん、うれしい…」
胸に手を当てて目を細め、噛み締めるようにリズが言う。
心なしか、頬が赤らみ、口元には笑みさえ浮かんでいるように─── いや、気のせいだ、気のせい。 そう思いたい。 私と同じなのだから、友達トモダチ… うむ、きっとそうだ。
「それじゃあ、バーサーカーも起きだしてきそうだし
そろそろお別れだね」
唐突に、イリヤがそう切り出す。 柔らかな笑みを浮かべて、ステップを踏むように一歩下がる。
そしてそれを、リズがひょいっと抱え上げた。
「また、日の出てるうちに逢おうね、カネりん
…夜のわたしは魔術師だから───」
少し目を伏せ、「あんまり、逢いたくないな…」と呟く。 だから私も「ああ、日の出ているうちに、また」と応えた。
「カネ、また今度…」
「ああ、ではな」
イリヤを抱えたリズが踵を返す。 私はそんな彼女の背に小さく手を振った。
「それと、カネりん、最後になるけど───
昨日の事、あんまり気にしちゃダメだよ?
あの程度の被害は、別に珍しくない…」
「………」
「それどころか、もっと酷い事も起こる可能性もあるんだよ
───例えば、前回の聖杯戦争じでは、大火事で何百人ってヒトが死んじゃってるんだから…」
「え…?」
大火事で、何百人も…?
「それは─────」
─────どういうことだ!?
私がその問いを口にするより先に、二人は信じられない速さで坂を下って行った。
この冬木で、数百人の人間が火災によって亡くなる… そのような事態は、過去の記録を紐解いてもただ一つしか存在しない…。
───まさか、
「………そんな、ばかな」
あの災厄が再び起こり得るなど、信じたくない。 信じたくないが… その感情とは裏腹に、心のどこかでは納得してもいる…。
「………」
私は、思いがけず突きつけられた真実に、しばし呆然としていた………。