小説『青き星の伝承ザ・ブルー』
ミスティック・ライヴス 封印都市編
第六話『はじめまして』




 ………


 闇に沈んでいたハーニッシュの意識が覚醒した。


「……」


 ゆるゆると戻っていく記憶から、ハーニッシュは、自分が『トンボ』の光線でノックアウトされた事を思い出す。

 そして、ゆっくりと目を開いた。


「……ん…」


 ぼんやりとかすんだ視界が徐々にはっきりしてくる。

 先ず目に映ったのは、天井の木目だった。 見慣れない場所だな… とハーニッシュは思った。


「ハー兄?」


 横合いから聞こえるはくあの声。 ハーニッシュが目を覚ました事に気付くと、はくあが顔を覗き込んでくる。


「えっと… 大丈…夫?」


 はくあは、『トンボ』にやられたダメージの事を言っているのだろう。 ハーニッシュは改めて自分の身体に異常が無いか確認する。

 これといって痛むような場所は無い。 特に痺れや違和感などが残っているという訳でもない。 魔力の枯渇による疲労感や脱力感はあるが、眠っていたぶん多少は回復している。


「ああ、大丈夫だ。 心配かけたな…」


 ハーニッシュはそう言って身を起こそうとした。

 ―――刹那。


「うわーん!」


 ばっふーん!!


 はくあがハーニッシュの胸にダイブしてくる。


「ぐはっ!?」


「心配したんだから! したんだから!!」

 そうわめき散らしながら、はくあはハーニッシュの胸に額をグリグリ押し付けてきた。


「だーっ! いきなり何だ!?」

 ハーニッシュは、はくあの行動に面食らいながら、無理やり半身を起こす。


「…だって… ハー兄が死んじゃったらどうしようって…思って…」

 そう言いながら、はくあは涙目でハーニッシュを見据えた。


「あー…」

 ハーニッシュは、はくあの言葉に思わず嘆息する。

 あの程度の攻撃で死ぬほどハーニッシュはヤワでは無い。 倒れたのは、魔力の枯渇によって意識が堕ちかけていたところに攻撃を受けたからだ。


「………」

「………」

 しばし無言で見詰め合うはくあとハーニッシュ。

 そういえば、はくあの前で倒されるのはこれが初めてだった… と、ハーニッシュは思い至る。


「そんなに心配させたとは思わなかった…

 …悪かったな」


「ううん… いいよ」

 はくあは、そう言うとぎゅうっと抱きついてきた。

 えへへ… と笑いながら、彼女はハーニッシュの胸に顔をうずめ肩を震わせている。 どうやら、泣いている様だ。


「おいおい…

 今からこれじゃ、これから何回お前を泣かせる事になるのか分からないぞ?」

 ハーニッシュはそう言いながら、はくあの頭を優しく撫でる。


「な…泣いてないもんっ!」

 ハーニッシュの胸に顔をうずめたまま、はくあは拗ねたような抗議の声をあげた。


 ―――コンコンッ


 唐突に響くノックの音。


「わっ!?」

「ひゃっ!?」


 二人は思わず驚きの声をあげる。

 音のした方に向き直ると、半開きの扉の向こうでティリエルがこちらを窺っていた。

 その表情は、呆れ半分、好奇心半分といった感じである。


「あわわわわわわ…」

「いや、そのこれはだな…」


 二人は慌てて身体を離す。

 ちなみに、はくあの顔が触れていたシーツには涙の跡がしっかりとついていた。


「おアツいわねー」


 手のひらで顔をパタパタと扇ぎながらティリエルは部屋に入って来る。


「で、どうなの調子は? 動けるんだったら、そろそろ団長に紹介したいんだけど…」


「…ああ、ある程度は回復した

 いつでもいいぞ」


 ようやくというか…ハーニッシュは、ここがティリエルの所属する研究グループのキャンプなのだなと理解した。

 はくあをベッド―――というか、自分の上から降ろし、靴を履いて立ち上がる。


「お、床板が張られてるのか… キャンプにしては上出来だな」

「床板が無いと駄目って連中も結構いるのよ…

 …その分、建物は安普請のプレハブだけど、ね」

 ティリエルはやれやれと肩をすくめる。


「じゃ、いくわよ

 …はくあちゃんはどうする?」

「ん〜…」

 はくあは少し気のない返事をする。


「なんだ? 来ないのか?」

 自己紹介が必要なのは、はくあも同じではないのかとハーニッシュは訝しむ。


「まぁ、はくあちゃんは団長とすでに会ってるからねぇ」

「そうか… そりゃ、二度手間だな

 …なら、休んでていいぞ」


「そうするー」

 そういってはくあはベッドに腰をかけた。



  ◇◇◇  ◇◇◇



「我輩が、セラサルード魔術大学より派遣された、この研究グループのリーダー…

 ダンティーオ・ブラウンだ よろしく頼む」

 そう言ってハーニッシュを迎えたのは、銀髪に髭をたくわえた初老の男性であった。


「ハーニッシュ・ビルシュタインです、こちらこそよろしく」

 ハーニッシュは軽く会釈する。


「聞いたよ、街の結界を解いたそうじゃないか」

「ええ」


「それに、なかなか腕も立つと聞いた…

 実に頼りになりそうだな」

 そう言いながらダンティーオは、ハーニッシュを嘗め回すように見ながら時折 うんうん、と頷いたりしている。

「それほどでも… ありますか?」

 ハーニッシュはティリエルの方を振り返りながら言う。

「なんで、わたしに振るかな… あんたは」

「いや、蚊帳の外っぽい雰囲気だったから、つい…な」

「余計な気を使わなくてよろしい…!」

 そう言ってティリエルはハーニッシュのこめかみを小突く。


「むしろ、我輩が蚊帳の外という気がしないでもないが…」

 ダンティーオが年甲斐もなく寂しそうな表情で呟いた。

「ああっと、すみません」

 慌ててダンティーオに向き直るハーニッシュ。

「かまわんよ… 若いモン同士の方が話も合うだろうし…な」

 ダンティーオは、自分の横にある窓の向こうに目をやる。

 そして、ちらちらと何か言いたげにハーニッシュの方を盗み見る。 要するにいじけているのだ。


 その様子を見て、ハーニッシュはティリエルに口寄せる。

「…なあ、お前のとこの団長って、変じゃないか?」

「…もともとこうなのよ… 能力はあるんだけど、変に寂しがりやというか…子供じみてるというか…」

 ティリエルは嘆息しながらハーニッシュに耳打ちする。


「…そうか… 大変だな」

 ハーニッシュはそう言いながらティリエルに相槌を打ったのだった。


「…もう、拗ねないで下さいよ団長…」

 半ば呆れたようにティリエルが団長をなだめる。

「団長と呼ぶな! 我輩のことはリーダーと呼ぶのだ!」

 それに返ってきたのは、さらに子供じみた返答だった。 しかも、全く関係ないことに腹を立てている。

「…」

 ティリエル絶句。

「…それで、リーダー

 俺はいったいどうすれば?」

 とりあえず話題を本筋に戻すべく、ハーニッシュがダンティーオに問いかけた。

「―――おお」

 その言葉にダンティーオは、ポンと手を打ち表情を引き締める。

「ハーニッシュ君を我々の一員として迎え入れる事に依存は無い

 実際、結界を解く事ができずに、調査が手詰まり状態に陥っていたのだしな…

 我輩からも是非、協力をお願いしたい!」

 そう言って、ダンティーオは改めてハーニッシュに協力を求めた。


 しかし―――

「―――異議ありです」

 ハーニッシュの後ろからの声が、それに待ったをかける。

 そちらを見ると、金髪碧眼のローブを着た青年が扉を開けて立っていた。

 彼の風貌は一見すると優男風で、体型は線の細い貧弱な印象を受ける。 それらの特徴から典型的な本の虫タイプなのが想像できた。

「…誰だ?」

 ハーニッシュは思わずティリエルに問う。

 だが…

「…ロイ…」

 ティリエルはそれに答えず、険しい視線をロイと呼んだ青年に向ける。

「あんた… 何しにきたのよ…?」 

 それに対して青年はティリエルを一瞥し、 ―――フンッ――― っと鼻を鳴らしただけだった。

 そして、そのまま二人の間を通り抜けダンティーオの前に立つ。

「リーダー、本気でこの… どこの馬の骨とも判らぬ男を我らの一員として迎えるつもりですか!?」

 青年はハーニッシュを指差しながら言う。

「…指を差すな …指を」

 初対面の相手を指差すのは大変な失礼にあたる。

 ハーニッシュはその所作に思わず半眼で呻いた。


「何か問題があるかね?」

 眉をひそめながらダンティーオが切り返す。

「あるに決まってるでしょう…!

 今回の件は、我々の最重要プロジェクトではないですか!

 それを… その最も重要な結界の解除をよそ者に任せるなど!!」

 青年は憤慨したように捲くし立てる。

「だが、結界を解く手段がないのではどうしようもないだろう?」

「―――三日です、あと三日あれば僕は結界を解く手段を確立できました!」

 青年はそう言ってダンティーオの机を ダンッ と叩いた。


「…ハーニッシュ、あんた厄介な奴に目を付けられたわね…」

 ティリエルがハーニッシュに歩み寄り、疲れと同情が混ざり合った表情でそう言った。

「そうなのか?」

「そうなの、あいつ自意識過剰なうえに名誉欲が強いから自分より注目されている人がいると許せないのよ…

 あいつの所為でどれだけの可能性の芽が摘み取られたか…」

 ティリエルはそう耳打ちしてから嘆息する。

「ふむ…」

 旅の噂に聞いた、セラサルード魔術大学が他の学院との提携に悉く失敗したというのは、もしやこいつの所為か?

 ―――と、ハーニッシュは思い当たる。


「聞こえているぞ!」

 二人の会話を耳聡く聞き咎め、険しい表情で怒鳴る。

「…おまけに、地獄耳」

 ティリエルがうんざりした様子で肩をすくめる。


「……まあいい、僕の名はウィッドロイ・クーゲルだ

 いや、覚える必要は無い。

 いずれ世界中で、この名が讃えられない日が無くなる… そうすればキミの足りない頭脳でも覚えられるだろうからね」

 ウィッドロイはそう自己紹介する。 ティリエルの言うとおりずいぶんと自意識過剰…いや、誇大妄想気味なようだ。

 だが、それはハーニッシュにとっては大したことではない。長い学院生活で、そう言った手合いにも随分慣れた。

 ハーニッシュはウィッドロイに軽く会釈すると、

「はじめまして、カルセドニス魔導学院の馬の骨――― ハーニッシュ・ビルシュタインです」

 と、名乗った。

 その言葉にウィッドロイは眉を吊り上げる。

 そして… それ以上に驚いたのは―――

「カルセドニスの…」

「ハーニッシュ・ビルシュタイン…!?」

 ダンティーオとティリエルの二人だった。

「お?」

 その反応にハーニッシュは面食らう。

「も、もも…」

 ティリエルが驚愕の表情でハーニッシュを見詰める。

「藻…、桃?」

 ハーニッシュは彼女の言わんとしている事が判らず首を傾げた。

「もしかして… カルセドニス魔導学院の最高学位…『智の先を照らす者ヘルメス』の称号を授かったのって…!?」

「…あ? …そういえば…」

 ハーニッシュは自分の記憶を掘り起こす。 確かに卒業式で、そんな称号を受けたような気はしないでもない。

 というのも、あの時はプリムシャリテの容態ばかり気にして学院長の話やその他の式次第は、まるっきり上の空だったのだから…。

 ちなみに、ずいぶん前に述べた錬命術科主席と言うハーニッシュの成績は『数字で比較できる成績』であり、競合する科目の少ない他学科との成績差は考慮されていない。 が、点数や、評価に拠らない成果は間違いなく全院生の頂点に立つものであったのだと、ここで申し添えておきたい。


「でも、まあ、 ここでは意味のない称号はなしだよな…」

 例によって、さらりと言ってのけるハーニッシュ。

 それに続けて…

「―――で、だ… ウィッドロイ君 …三日で結界を解く手段を確立できると言ったな?」

 と言った。

「…もちろんだとも」

 少々気圧され気味にウィッドロイが応える。

「なら、俺からも是非頼む。

 一日も早く結界を解く手段を見つけてくれ」

「な…キサ―――!」

 ともすれば、嫌味とも取れるその言葉が癇に障ったのだろう。 ウィッドロイが声を荒げる。

「―――何いってんのよハーニッシュ! そんなの口からでまかせ…」

 ティリエルも間髪いれず、ハーニッシュに彼の言葉が当てになるものではないと忠告する。

 実際、過去ウィッドロイが三日で何かできると言って出来た例はない。 記憶にある限り、出来なかった時の言い訳ばかりが達者になっていった筈だ。


 だが、そんな二人を無視してハーニッシュは言葉を続けた。

「正直、結界を解くという行為は魔力を馬鹿みたいに消費するんだ…

 だから、それを少しでも肩代わりしてくれるモノがあった方が俺としてはありがたい」

 それが、ハーニッシュの率直な考えだった。

 ましてや、その後に戦闘が控えている可能性を考慮に入れると魔力の消耗は少しでも少ない方がいい。

 しばらく言葉に窮していたウィッドロイだったが、気を取り直したのか。

「…ふん、そこまで言うなら善処しようじゃないか!」

 一見、自信満々な態度でそう言った。

「ああ、期待してる」

「…」


 ハーニッシュの言葉を受け、ウィッドロイは足音も高く部屋を出ようとする。


「そうだ、ウィッドロイ君…」

「何だ?」

 ドアノブに手をかけながら、ウィッドロイは鬱陶しげに振り返る。

「俺もロイって呼んでいいかな?」

「…好きにするがいい」

 怒るとでも呆れるとでもなく言いながらウィッドロイは部屋を出て行った。


 ………


「ハーニッシュ…あんた」

 ハーニッシュがそう言われて振り向くと、ティリエルは何故か鋭い目つきで睨んでいた。

「ん? …俺、なんか悪い事したか?」


「……

 まさか…とは思うけど、ホントにあいつが結界を解けると思ってる?」

 眉をしかめながらティリエルはハーニッシュに問う。

 ロイの過去の実績を知っているティリエルにとって、ハーニッシュの言葉が本気とは思えない。 それどころか、正気の沙汰ではありえないとさえ思っていた。

「ん、まあ、やるっつったからには何とかするだろ

 できないと決めてかかるのも失礼だしな」

 だが、ハーニッシュの答えは、その予想に反して楽観的なものであった。


「………

 …素で、それだけ言えれば大したもんよ…」

 そう言ってティリエルは大きくため息をついた。


「…褒められてないな? それは…」



  ◇◇◇  ◇◇◇



「あー… たいくつー…」

 はくあは部屋のベッドでゴロゴロしていた。

「やっぱり、ついて行けばよかったかな…?」

 ふと、そんな言葉が口をつく。

「でも…」

 はくあとしては、あの濃い団長には正直あまり関わりたくないというのが本音だ。


 ごろ…

 寝返ってうつ伏せになる。


「……」


 ………


 ……


 しばしそのまま。


「………」


「………ふぅ」

 いつからか、はくあの目がとろん…としたものになっている。


「…すぅー」

 大きく息を吸う。


「…はぁー」

 大きく息を吐く。


「……すうぅーー」

 もっと大きく息を吸う。


「……はあぁーー」

 もっと大きく息を吐く。


 深呼吸を幾度か繰り返した後、はくあの顔は紅潮し、その瞳は潤んだ輝きを湛えていた。

「……はぁぁ」

 さらに息を吐く。限界まで肺から空気を絞り出していく。


 手は震え、何かに吸い寄せられるように、衣擦れの音をたてながら、ゆっくりと動く。

「………」


 吐き切った息を再び吸おうと、一瞬止めたそのとき―――


「あのぉ…」


 唐突に声がかけられた。


「―――☆$×&□@%!!!!」


 驚きのあまりはくあは叫んだ。

 幸いと言うか、息を吐き切っていたため、その叫びが声になる事はなかったが…。


 ………


 ややあって―――


「あんた、アタシを殺す気!?」

 咳き込みながらも、凄まじい剣幕で怒鳴るはくあ。

 その顔は、怒りと羞恥で真っ赤に染まっている。

 なぜ、羞恥までもが起こっているのかは、乙女の秘として言わずにおくのが花であろう。


「ひぅ!? すみませぇん…」

 怒鳴られた少女は、澄んだネイビーブルーの瞳に涙をためながら萎縮してしまっっていた。

 その少女の外見はというと、綿毛のようにふわふわしたブロンドの髪に、奇妙な円盤のついた髪飾りをしている。 肩に白いケープを掛けているが、その下はなぜか紺色のワンピース水着だった。

 その水着の下腹部の辺りにある特徴的な縫い目… 世が世なら人はコレのことを『スクール水着』などと呼んだりするかもしれない…。

 そして脚には膝上まである白いロングブーツを履いている… どこかしら微妙で突っ込みどころ満載の格好だった。

 しかしながら、彼女の最大の特徴は耳が魚のヒレのような形状をしている点だろう。


 耳がヒレのような形状をした種族はこの世界にいくつか存在する。

 まずひとつ目は水の精霊王の眷属たる『水人』。 しかし、彼らにあるはずの魚尾が少女にはない。

 そして、『人魚マーメイド』。 人魚の下半身は当然、魚。 しかし、彼女は両の脚で普通に立っている。


「………」


「…あのぉ?」

 黙りこんでしまったはくあに少女がおずおずと声をかけた。


「…あんた…」

 はくあはうめく様に呻くように言う。

 判ってしまったのだ。 彼女がどういう存在か。

「…ミスティックホムンクルスアタシとおなじなのね?」

 つまりは、そういうことだ。

「…はい!」

 はくあの言葉に少女の顔がぱぁっとほころぶ。

「―――って… 何を喜んでんだか…
 で? 名前と合成幻獣タイプは?」

 それに対し、はくあは眉をひそめる。


「えっと… 私の名前はレモン、タイプはレモラですぅ」


「ふぅん、レモラのレモン… ね…」

 はくあは値踏みするような目でレモンを見る。

 ちなみにレモラとは、小さな魚の姿をした海の魔物であり、凪を起こしたり、船に張り付いてその運行を妨げる事で知られている。

 そして…

「…ぷっ…

 安直な名前ねー! あははははっ」

 はくあは、その名前について素直な感想を述べ、一笑する。 まぁ、その名を聞けば誰であれ似たような感想を抱く事になるだろうが―――

「わ… 笑う事ないじゃないですかぁー!?」

 ―――と、いうのが良識的な意見だろう。


「まぁ、いいわ

 アタシは狐火のはくあ

 レモンもこのキャンプの一員なんでしょ? よろしくね」

 そう言ってはくあは手を差し出す。

 なお、改めて説明すると、狐火とは、はるか東方の国、ファイストの森に住む妖狐で、人々には旅人や狩人を惑わす火の玉の姿で知られている。

 だが、その本体である妖孤は、警戒心が強く臆病なため人前に姿を現す事がめったにない。

 故に、実際に火の玉を操っている彼らの存在は殆ど知られていなかったりする。


「はい よろしくお願いしますぅ」

 レモンは、はくあの手を握りながら挨拶を返した。

 しかしながら、何が『まぁいい』なのか、とか、笑った事に対する謝罪はないのか、とか… そういったことは、対人関係に不器用なレモンには思い至るはずもなかった。


「それで さっきの話に戻るけどさ、何でノックもせずに部屋に入ってきたのか…

 ちゃあんと、説明してもらえる?」

 爽やかだったはくあの顔が一転して険しくなる。

「…それは…」

 それを受けて、レモンの顔は蒼白になった。

 ちなみに、身長はレモンの方がちょうど10センチほど高い。 なので、はくあは下からレモンを見上げる形になっているのだが、レモンにそのような事は何の救いにもなっていない様だった。

「それは?」


「…そ…」

 レモンは、全身から脂汗を滲ませながらも何とか言葉を継ごうとする。


「その… お… お友達になってください!!」

 半ば絶叫じみたレモンの言葉―――

 人間関係に不器用で、臆病なレモンの精一杯の懇願。


「イヤ」


 事もあろうに、それをはくあは一言のもとに拒絶した。


「………」


 お互い、しばしの沈黙。


「…なんで …ですか?」

 消え入りそうな震える声でレモンがやっとそれだけ言い返した。


「アタシ、あんたみたいにメソメソ、オドオドする奴って嫌いなの」

 言って捨てる。

 そう――― 一度は笑って見せたが、先程の怒りがまだ収まった訳ではない。


「そんなぁ…」

 レモンが落胆の声を漏らす。

「そのうえ、ノックもせず他人の部屋に入ってくるような非常識な奴なら、なおさらお断りよ!」

 はくあは怒りもあらわに怒鳴りつけた。

 その言葉に、レモンは何の反論もできず、ただ呆然と立ち尽くす。

 正直、はくあとしても言葉が過ぎるかな、と思わない訳ではない。 だが、アノ場面を見られて黙っていられる程、寛容でもない。

 とはいうものの、はくあがその後及んだであろう行為に思い至るほど、レモンが目敏い訳ではないのだが…。


「―――っ とにかく、出てけー!!」

 はくあの絶叫。

「―――っ はぃい!」

 それに驚き、レモンが大きく後ろに退ったその時―――


 カチャッ―――


 唐突に扉が開き、そこには


「何かあったのか、はくあ?」


 団長の部屋から戻ってきたハーニッシュが立っていた。

 ―――そして…

「はぇ!?」

「ぅわ!?」

 レモンとハーニッシュは予想外の状況に驚きの声を上げた。


「きゃう!?」

 ぼふっ

 レモンは、後ろに大きく退ったせいで、ハーニッシュの胸に背中からダイブしてしまう。


「―――っと」

 ハーニッシュは一瞬驚きはしたものの、すかさずレモンを抱きとめた。

「ひゃっ?」

 思わず驚きの声を上げるレモン。 それよりも―――


「あーーーー!!」

 その状況に敏感に反応したのは、はくあだった。

 その間、僅か数瞬。 はくあの顔が怒りの赤に染まり、その表情が驚きから憤怒のそれに変貌する。

「―――ひっ!?」


 その形相を目の当たりにし、すくみ上がるレモン。

 ―――この状況はマズイ、下手をすれば命の危機かもしれない。


 そして、レモンはその怒りの原因に思い当たる。

 ―――この男性と触れているからだ…。


「ごめんなさぁい!!」

 その謝罪は、はくあに対してか、それともハーニッシュに対してか…。

 レモンはハーニッシュの腕を振り払い、離れようとした。

 が―――

「あぅ?」

 恐怖の所為であろうか、その動きに足が付いてきていなかった。

 レモンの身体がぐらりと傾ぐ。

「危ないっ」


 …ぽふ…

 

「ぁ…」


 事もあろうに…


「大丈夫か?」


 ハーニッシュは、倒れそうになったレモンを掴み…


「は…ぃ」


 そのまま抱き寄せていた…。

 その際、レモンの身体の向きが逆になり、抱き合う形となっていたのは、もはやお約束としか呼べまい。

 ―――温かで大きな胸。 レモンはその温もりを感じて、不意に胸が高鳴る。


 だが、その温もりに酔いしれる事を背後の殺気が許してはくれなかった。

「―――っ」

 その殺気の主は言わずもがな。 はくあは、声もなく憤怒の形相でレモンを睨みつけている。


「落ち着け、はくあ」

 ぴしゃりと言い放つ。

 ハーニッシュとてはくあの表情に気付いていなかったわけではない。 ただ、目の前の問題を優先的に解消していったに過ぎない。

 ハーニッシュは、レモンをそっと離しながら嘆息する。


「うう…」

 ハーニッシュに強く言われては、はくあとしては抑えるしかない。

 なぜなら、ハーニッシュは他者に対して感情的になる事を嫌っているからだ。

 故に、これまでも、お互いにならこの程度の感情の発憤などさしたる問題とはしなかったが、逆に、そういった感情を外側に向ける事を強く戒めてきた。


「何があったか…話してくれないか?」

 ハーニッシュはそう言って、はくあと、そしてレモンに穏やかな口調で問い掛けた。



  ◇◇◇  ◇◇◇



「もしかして、わたしって…地味?」

 姿見に向かってそう呟いたのはティリエルであった。

 場所はティリエルの自室。 ハーニッシュらのいる部屋と同じような質素な造りながら、かわいらしい調度品と花を活けた花瓶がある、実に女性らしい部屋である。


「気付いてないっていうか… 眼中にないって感じだったわよね」

 そう言って、後ろにまとめた髪をほどく。

 つややかな赤い髪がはらりと背中に広がり、弧を描いた。


「服も一張羅に着替えたのに…」

 純白のワンピースの肩紐が外され、ぱさりと足元に落ちる。

 着込んでいた墨色のワイシャツの裾から伸びる太腿は、しなやかでありながら肉感的で、女性的な美しさを惜しむことなく誇示していた。


「なんか…無駄な努力って感じよね…」

 締めていた赤いネクタイを外し足元に落とし、シャツのボタンを全て外す。 シャツ越しではあっても、なめらかな曲線から、そのスタイルが決して悪くないことは容易に推測できる。

 そして、開かれた合わせからブラとショーツの純白が覗いた。

 それは、ティリエルのお気に入りの下着であり…。

 さらに言えば、ショーツは『彼』にとっての第一印象になっているであろうモノでもある。


 彼とは、つまりハーニッシュ。


 ティリエル自身も、その第一印象が覆らないのは、ある意味仕方ないかな…と思う。

 まず、その原因となった出会い。 森竜の巣から助けられ、足を診てもらったのはいい。 しかしながらはくあの闖入により彼の印象に残ったのは、おそらくショーツや腰から下だけとなっただろう…。

 で、次に会ったのは薄暗い儀式場。 これは、言うまでもない。

 その後で話したのは仮眠室。 そこの灯りも、会話するには問題なしといえど、部屋全体を明るくするに及ぶ物ではなかった。

 セントラルパークへ向かう道中も、彼は町並みばかりを見ていたような気がする。

 そして、『謎のモンスター』との戦闘。 彼は、そこで倒れてしまった。

 つまるところ、ティリエルはあの出会い以降、自分の姿をハーニッシュにまともに見てもらっていないのだ。


「はぁ…」


 ため息をつくティリエル。

 それもそのはず、朝のそれを除けば彼女は今日だけで二回服を着替えた。それも、より魅力的に見えるよう意識して… だ。

 森から帰って一回、セントラルパークから帰って一回…。

 女性の魅力が外見だけで決まるとは思わないが、ここまで見て貰えないのは少し悲しい。

 それは、目に見える魅力が皆無だと言われているに等しいのだから…。


「―――って… 何を落ち込んでるのよ、わたし!?」


 しかし、ティリエルはそんな思考を努めて追い払おうと、姿見の木枠を ―――ぺしっ と叩く。

 姿見の中の自分が、それに合わせてぐらぐらと揺れる。

 それが、自分の心みたいだ…と、ティリエルは少しだけ思った。


「…確かに、運命めいたものを感じたわよ…?」


 ワイシャツを脱いで、姿見に覆いかぶせる。

 鏡に映っているのは下着姿の下半身だけ。

 それでいい、今は自分の表情ほんしんを見るのには早過ぎるから。


「でも、それって今すぐ結ばれるって意味じゃないわよね!」


 自分の心を奮い立たせるようにガッツポーズをとるティリエル。


「これからよ、 うん、これから!」


 運命的な出会い。

 そして、胸に芽生え始めた不思議な想い。

 それが、恋心であれ、そうでなかれ…

 焦る必要はない。

 今日出会った彼と、同じ場所で同じ時間を共有できる事になったのだ…

 その想いと向き合う時間は、これからいくらでもある。


「よっし! やるぞー!」


 ティリエルは、本日3度目の着替えをすべくクローゼットの扉に手をかけた…。



  ◇◇◇  ◇◇◇



「―――と、いうわけなんですぅ…」

 レモンはそう言って、これまでの経緯の説明を締めくくる。

「なるほどなぁ…」

 ハーニッシュは、うんうんと頷く。

 ちなみに、はくあは途中から何も話していない。 俯いてベッドに腰掛け、しょげ返っている。

「友達にくらい、なってやればイイじゃないか?」

「…そっ それは…!」

 ハーニッシュの言葉に対し、はくあは顔を上げ言葉を継ごうとする。

 が、その継ぐべき言葉は出ない…いや、はくあの中に存在しない。


 それに対してではあるまいが―――

「…わたしみたいにオドオドしてるのは苦手なのだそうです…」

 レモンは、少し辛そうな顔をしながらそう言った。

 それは、嫌われている自分に、そして、嫌っているはくあに対する不本意な肯定。 嫌われる事に慣れているという諦めだった。

 だが、あの時、はくあはレモンに対して『嫌い』だと言った。 それを『苦手』と言う無難な言葉に置き換えたのはレモンなりの察しと言えるだろう。

 つまり、レモンは、はくあに好かれる事を諦めていないと言うことだ。


「ん…?」

 レモンのその言葉に対してハーニッシュは首を傾げる。

「はくあは… 確か『スラ子』とは仲が良かったよな?」

 この言葉は、はくあに対してだ。

 ちなみにスラ子とは、以前に少しだけ触れたスライムを合成されたミスティックのことである。

 そして、言うまでもなく、スラ子はニックネームで本名はミリュールという。 だが、この本名すらマスターの発音ミスだという辺りで、彼女の不遇っぷりが窺える。

 ハーニッシュの知る限り、彼女もまた内気で臆病な娘だったはずだ。


「―――スラ子って言うな!

 …あの子は… …ミリュールは… 特別なんだもん…」

 そう言って、はくあはバツの悪そうな顔をする。

「そうか…」

 ハーニッシュは哀しいような、困ったような微妙な表情をする。

 そう、確かにハーニッシュや他の院生たちにとって彼女は特別だった。 だが、はくあは決して彼女を特別扱いしなかったのだから。

 だからこそ、ハーニッシュは二人の事を仲良しだと認識できたとも言える。


 ―――はくあは、嘘をついている。

 それが、ハーニッシュの推理だった。


 だから、ハーニッシュは―――

はくあこいつは喧嘩っ早くて意地っ張りで、おまけに素直じゃない」

 ―――レモンにそう言った。

「ちょっと ハー兄!? それってどういう…!」

 それに対し、はくあは怒気を帯びた言葉とともに立ち上がる。

 それを、ハーニッシュは手で制して、言葉を続けた。

「でもな、こう見えて面倒見は良いし、根はいい奴だ…

 だから、時間はかかるかも知れないけど、必ずいい友達になってくれる…」


 はくあには信頼を…

 レモンには期待を…

 その言葉に込めて、ハーニッシュは二人に微笑んだ。


「はい! わたし…はくあさんといい友達になれるように、がんばります!」

 輝くような笑顔でそう言うレモン。

 こうなってしまっては、はくあとて意固地になってもいられない。

「わかったわよぉ… もう苦手とか言わないようにする…

 っていうか、あんな事を言ってゴメンなさい」

 素直に、とは言い切れないかもしれないが、はくあが頭を下げて謝罪した。

「うん…」

 レモンもその言葉を素直に受け入れる。

 そして、ハーニッシュはそんな二人を見ながら満足そうに頷いた。


「でもね、レモン…

 アタシは、友達っていうのは、自然にそうなっている関係だと思うわけ…

 今回は目をつぶるけど、これから先、作るとか、なってくださいとか言ったら…

 ―――ぶっとばすからね!」

 強い語気ではくあがそう言う。

「おいおい…」

 それを聞いて、困ったように笑うハーニッシュ。

 だが、その言葉を咎めはしない。 はくあのその目が言葉とは裏腹に笑っていたからだ。

「…でも…それじゃ…?」

 少し戸惑いがちに問うレモン。

 さもありなん。 誰とでもすぐに打ち解けられるはくあと違い、レモンは人間関係に不器用で、『友人』という関係すら、特別で縁遠いものだったのだから。

 友人とは、作ろうとして、なってもらうもの… そういう風に身構えてしまっていたのも無理からぬことだろう。

 だから、それを打ち消すために…

「アタシ達は友達なのよ、もう!」

 少しだけ、照れたようにはくあが言った。

「え…?」

 その言葉が信じられないかのように口に手をあて、目を見開くレモン。

「…もう、言わないからね

 友情は、口に出して確かめるものじゃないんだから…!」

「…うん …うん」

 その言葉に、レモンは感極まったかのように涙ぐみ、何度も頷く。

 はくあは、そんなレモンを少し複雑な表情で見詰めてから、ハーニッシュをちらりと見やる。

 ―――これでいいでしょ? とでも言うように。

 だが、その言葉を口に出す事はしない。

 なぜなら、はくあとレモン、二人の関係は二人の問題でしかなく、その関係の正否をハーニッシュに判断させる事は無意味なのだから。


「ねぇ、レモン」

 はくあはレモンの名を呼ぶ。

「はい!?」

 少し驚いたように、ぎこちない返事をするレモン。

「…このキャンプ、案内してくれる?」 

 そう言って、手を差し出す。

「…う、うん」


 そして、二人は、連れ立って部屋を出て行く。

 その間際、レモンは少しだけハーニッシュを振り返った。

 そのレモンに対しハーニッシュは、 ―――よかったな… と小声で言いながら、親指を立てた拳を、グッと突き出す。

「………はい」

 それに、レモンは心からの笑顔で応えた。

 何かから解き放たれたかのような晴々とした笑顔。


 これからはレモンが友達に困る事はないだろう… なんとなく、ハーニッシュはそう思った。




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